デザイナーのユニフォーム「黒いTシャツ」に秘められた、奇妙な職業の本質

デザイナー男子は、黒いTシャツを好んで着る。

私もその一人ですし、有名どころでは原研哉さんや、ナガオカケンメイさんもそう。

きっと理由があるに違いないから、なぜなのかなぁと、考えてみた。

すると、デザイナーという世にも変わったプロ軍団の、職業像が見えちゃいました。

 

人様を魅力的にするのが仕事だから、自分の見栄えになんぞ興味はない

デザイン屋さんは、広告や製品やビジネスを魅力的に、そして美しくする専門家です。

裏を返すと、実は、「自分自身」の演出については無頓着な人が多い。自分の姿には、あまり興味は無いから、服装を考えるのはめんどくさい。時間がもったいない。勝負は、作り出したものの方でしているという自負があるわけです。

少なくともわたしはそう。「お助けのプロ」であるデザイナーは、主役ではないから、センスを疑われない程度に、ほどほどにかっこよきゃ十分と思っています。

すごいものを作る仕事だから、プライベートや生活も華々しいに違いないと思われがちですが、ぜんぜんそんなことはありません。一言で言うと、一流の人でも想像以上に「地味」。みなさん、忙しくて格好いい生活なんかしてる余裕はない。そんなことできるのは、成金のヒマ人。

スティーブ・ジョブズも、いつも服装は同じでした。どこに登場するにも、黒いタートルネックと、ブルージンズ。

彼は、物作りに異常な執念を燃やすプロでした。そんな奇人が自分の服装なんか気にするわけがない。彼なりに見つけた、見栄えと手間いらずの妥協点が、あの組み合わせだったのだろうと思います。

彼の伝記本を書いたアイザックソン氏が自宅を訪ねると、クローゼットいっぱいに、同じデザインの黒いタートルネックが山積みになっていたという話です。ある時、東京を訪れたとき三宅一生さんと意気投合して、大量に作ってもらったらしい。

デザイン屋は、自分を演出することに関しては、逆にド下手だったりもします。いつもの調子で、一歩引いたところから、客観的に分析することができなくなるからです。

アメリカ最高峰のデザイン会社「IDEO」は、社内に多数のスゴ腕デザイナーを抱えていながら、自社ロゴのデザインを、あえて大金を払ってポール・ランド氏に依頼したと言います。その理由は何かというと、自分たちの特長やイメージは、客観的な眼を持っている人でなければ演出できないからだとか。

(ランド氏は、IBMやNeXTのロゴをデザインしたことで知られる大御所で、ジョブズの伝記にも登場)

 誰の色にも染まらない、ニュートラルな色

一流のデザイン屋さんともなりますと、引く手あまただから、あらゆる業種や会社の仕事を頼まれます。

お堅いビジネスから、ふにゃふにゃのやわらか系まで、いろんな依頼が舞い込んでくる。すると、特定の分野やスタイルに染まり過ぎると、他のビジネスからの仕事が来なくなってしまいます。

例えば、派手なアロハシャツを好んで着る個性派のデザイナーさんがいたとすると、そういう人には、地味なスーツ会社の仕事というのは来ない。

だから、歌舞伎の役者を助ける「黒子」のような存在であった方がベターなんです。あくまでも、主役を引き立てる脇役。お客さん自身や商品よりもぜったいに目立ってはいけないという、暗黙の了解のようなものがある。

デザイナーと言えば、歩く個性、だと思っている方は多いでしょうね。

でも仕事でお会いしたことのある原研哉さんや佐藤可士和さん、それから私の親方だった石岡瑛子さんなど、作るモノはぶっ飛んでいて超クリエイティブですが、ご本人達はとても堅実で控えめなタイプ。けっして派手な格好はしていません。派手で華々しいのは作っているものや、著書のほうだけ。

「黒」という色は、色彩の世界では「光が無い」状態を指します。

色にも、そして形にも主義主張が無い、黒いTシャツというベーシックな着物は、「わたしは、いつでもアナタ色に染まれますよ」という、クライアントさんへのラブレター・・・、だったりして。

株式会社をつくる費用を、現ナマで並べてみた

「法人」とは、法により人とされている組織のこと。

つまり、法人設立とは、私たちと同じ「自然人」と似た権利を持つ、「人」が一人新しく生まれるということ。

俗に「マイクロ法人」と呼ばれる社員=社長だけの1人起業の場合、自分の分身を作って、税制や仕事によって使い分けるという感覚で生きていくことが可能になると言われています。

この金額で、自分をもう一人作れるというのは、安いと思いますか?高いと思いますか?

株式会社設立には、公証役場と法務局に現金を持って行くことになりますが、せっかくおろしてきたので、並べて撮影してみました。

(このほかに、前回書いた書類作成代行サービスを使う場合は7,350円が必要。現金以外に、現物での出資がある場合はオプション書類制作で+2,000円となります)

『誕生したばかりの師弟コンビ。2人のグラミー賞受賞者を目前に』 連載 石岡瑛子さんからの個人レッスン – 7

こうして唐突に、私は、オスカー像を持ってる人の助手になった。

正式に採用するという会話があったかどうかは、もう15年以上前のことなので覚えていない。でも、このカフェでの会話の一部分を鮮明に覚えていて、そのときの石岡瑛子さんの表情を思い浮かべると懐かしい。

私は「給料はいりません」と、改めて彼女に伝えてから、当然の権利であるかのように交換条件を述べた。

「そのかわり、勉強させて頂きたいので、お話をたくさん聞かせてください」

すると彼女は、満面の笑みを浮かべ、

「あらぁぁ、それは、高いわねぇ」

と、嬉しそうに返事をしてくれた。

このときの約束を、石岡さんは長いあいだ律儀に守ってくれた。ニューヨークで助手をした数年間、そして、日本に帰国してからときおり仕事を頼まれて会う度に。

私は、中学校2年で学校から脱走してからというもの、同年代の友達はあまりいなくて、遙かに年上の人たちばかりと関わってきたから、石岡さんのような超仕事人が、若者にどんな行動を求めているかも無意識に分かっていた。

若い女子はめっぽう苦手だったが、自他共に認める「おばさまキラー」だったのである。私は異常なまでに場の空気を読んで先回りする気の利く男で、仕事のできるおばさま達には、すぐに気に入られた。

仕事上の話ですけどね、念のため。

石岡瑛子さんのような大きな仕事をするプロに助手がいないというのは、普通の人には謎だと思うけれど、事務をたまにサポートする女性だけは東京とマンハッタンにいた。でも、なぜか、実作業を密に手伝う助手はいなかった。

後に彼女と親しくなってから聞いた話では、東京でたくさんのスタッフを抱えるのに疲れてしまったという。デザイン事務所をやる場合、「1人あたりの給料の10倍の売上げ」が必要だと教えてくくれた。

その頃の苦労もあるだろうし、アメリカにわたってからは仕事毎に一流の専門家チームを組むので、プロジェクトをまたがって仕事を手伝うアシスタントはいなかったのだが、たまたまオペラ仕事で予算が厳しいときに私と偶然出会い、初めて、試しに学生を使ってみようかという気になったようだった。

さて、シーンは助手面接合格後のカフェに戻る。

「まず助手にするかどうか、試験課題を出しますから」と電話で言っていた慎重派の彼女だが、そんな話などなかったかのような流れで、具体的な仕事の話をもう始めている。

親方は、熱心に連作オペラ2つ目の衣装デザインの構想を、私に説明している。早速、資料集めの依頼である。デザインのコンセプトを一つでも聞き漏らすまいと、わたしは猛スピードでノートに書き取っていく。

・・・その最中、突然、石岡さんが話がピタッと止まった。

私の斜め後ろの方、カフェの前の57丁目の通りをジッと見つめている。

何ごとかと思って振り向くと、ピカピカに輝く、ロールスロイスが一台とまっていた。運転手が降りてきて、ドアを開けると、白いスーツを身に纏い、片手にステッキを持った、マフィアのドンのような風貌の初老のイタリア系おやじが現れた。

背後で、石岡さんが興奮している。

「ちょっと、ちょっと、ちょっと、あれ、トニー・ベネットじゃないの!?」

わたしは誰それ?と思ったが、このすごいおばさんが大興奮しているからには有名人なのだろう。空気を読んで「え、ほんとですか!」とかなんとか口走った。だがしかし、彼女はもはや私のことなど眼中にない。

トニー・ベネットは、50~60年代に一世を風靡したグラミー賞の常連歌手。ニューヨークというのは、世界的な有名人でも、そのへんを平然と歩いている奇妙な街なのである。

そのベネット氏は、私たちが打ち合わせをしているカフェに、優雅な足取りで入ってくると、カフェ中の視線を浴び、何人かのお客さんに愛想を振りまきながら、店の奥の席に向かってこちらの方に歩いてくる。

有名な人をあんまりじろじろ見ては失礼である。そういう大人な方針の私は、横目でチラチラと覗き見していたのだけれど、ふと、石岡さんの方を見たら度肝を抜かれた。

この人は、文字通り「からだ全部」をベネット氏の方角に向け、遠慮も恥じらいもなく、目をキラキラさせてガン見しているではないか!

石岡さんは、面白いモノや人に遭遇すると、全身で好奇心を表現してしまう人なのだ。この時見た乙女で素直なお茶目さと、我を忘れる程の異常なまでに強烈な好奇心は、石岡瑛子という偉大なプロの知られざる素顔だと、後によく知ることになる。

ベネット氏は、私たち二人が座る席のすぐわきを歩いて行き、石岡さんは、まるで監視カメラのような動きで全身を使って追い続ける。ベネットさんは、遠慮なく見つめてくるアジア人のおばさんの視線にちょっとバツが悪そうだ。

そして私というと、石岡さんの姿の方を観察していた。

親方になったばかりのこの人の、見慣れない行動を至近距離で目撃した私は、天才的な仕事人というのは、ネジが数本抜けているに違いないと、頭の隅の方で感じはじめていた。アカデミー賞を受賞しているすごい人でも、こんなにミーハーなものなのかと驚き、ちょっと呆れながらも微笑ましかった。

今日からこの人の仕事を手伝うわけだ。

いま思うと、石岡さんもマイルス・デイビスのアルバムデザインで、グラミー賞を受賞しているわけで、私の目の前に受賞者が2人いたことになる。

私が言葉を交わしたことのある中では、石岡さんが最高峰だが、上には上がいるようだということも体感した。世の中には、いろんなレベルの有名人がいる。雲の上には雲の上の格付けのようなものがあるみたいだ。

誕生したばかりの師弟コンビは、オペラ衣装の最初の資料探しの相談を終えると、カフェを出て、カーネーギーホールの隣の黒い高層マンションまで並んで歩いた。

石岡さんの後を追って、ドアマンが手で動かしてくれる回転扉を抜けると、薄暗く静まりかえったロビーに、コンシェルジェが立つ大きな受付カウンターがあった。まるで高級ホテルだ。

彼女は、長身で東欧系美男子のコンシェルジェ氏に、「このヨシという彼が、これから手伝いで何度もくるから」と紹介すると、私の方を向き、「じゃあ、リサーチ、よろしくお願いしますね」と言ってから、きびきびした足取りで、もっと薄暗い奥の方に、足早に消えていった。

こんなに楽チン、今どきの法人設立。阿部書店株式会社の誕生ちかし

株式会社設立は、つくるときも、そしてその後も、めんどくさいことだらけ!・・・というイメージを持っている個人営業のプロは多いでしょう。

私もその一人でして、長年、株式会社にしよう思っていながら、ずっと個人事業主として活動をしてきました。

ところが、この冬に橘玲さんの「貧乏はお金持ち」という本を読んで、会社設立に対するイメージが180度変わってしまった。そのときの私の興奮ぶりは、読み進めながらツイッターでマシンガンのようにつぶやくのを目撃した人はご存知でしょう。

そのびっくりな全貌は、詳しく書く機会が来るかと思いますが、この本で学んだことの一つは、会社をつくるという最初のハードルがものすごく低くなったということ。

日本政府が景気回復の一環で、起業を大々的に推進していて、規制緩和や法改正をしたのが、その理由です。

 

設立にかかる費用が3.5万円安くなった

会社のルールブックとなる「定款」を公証役場で認証してもらうとき、認証料5万円に加えて「4万円の印紙税」が必要でしたが、政府が推進する電子認証を使うと、これが「無料」になります。

自分で電子認証をやろうとすると、手間と機材導入費用がかかるので、行政書士に頼むのが現実的ですが、ネットだと5,000円程度で引き受けてくれるところが多数あります。

単純計算すると、株式会社の登記が「3万5,000円安く」なり、総額20万円ちょっとになりました。

行政書士に4万円で会社設立を依頼して、自分で手続きをした場合にかかるコストと相殺するという手もあるようです。

たった1人で設立できる

いままでは、代表者の他に、少なくとももう1人の取締役が必要でしたが、いまは「代表取締役1名だけでOK」になりました。

個人事業の自営プロも、第三者を巻き込まずにそのままの体制で法人に移行できます。

役員の任期もいままでは2年だったのが、最大10年に延長になり、わずらわしい書類手続きも減りました。

資本金が「ゼロ円」でも良くなった

これはご存じの方も多いと思いますが、昔は株式会社を設立するには「1,000万円」の資本金が必要でした。いまは、ゼロ円でも可能です。

ただし、現実的には、設立後に現金が少し無いと支障が出ます。自治体の創業融資などを利用する場合にも、資本金×数倍が限度額になるので、ペーパーカンパニーでもない限りは、ある程度は必要だそうです。

資本金は現金である必要はなく、「物」でもOK。

「物による出資」が簡単になった

資本金を物で出す場合は、「現物出資」と言って、個人事業として使っているパソコンやカメラ、オフィス家具などを「中古時価」で出資可能です。私の場合、製作機材や家具の多くを現物出資にして、合計70万円ほどを資本金の額として追加します。

この現「物」による出資総額と、現「金」での出資の合計が、会社の資本金ということになります。

おどろくべきことに、自社のホームページや、知的所有権(著作物や開発したソフト、特許権など)も、現物出資の対象です。つまりお金儲けのタネになる権利は、新会社に出資するという形で譲渡でき、妥当な事業価値が計算できるものなら、現物出資が可能。

私のケースでは、昨年開発したiPhoneアプリ(外注実費20万円、自分の人件費数ヶ月で製作)を、29万円の価値がある資産として、資本金に追加しました。(29万円という半端な数字なわけは、現在の資産一括償却の上限が30万円未満のため)

新会社法の現物出資では、500万円以下なら、取締役(=ひとり起業なら自分)が書く調査報告書だけ添えれば済みますので、第三者の資産価値評価は不要です。

また、現物出資した品々の総額は、そのまま経費として計上できるため、初年度の利益も圧縮することができます。相場以上の金額をつけて現物出資をすると、あとで税務署に怒られて課税されるそうですので、ご注意を。

書類作成から定款の電子認証まで代行してくれるネットサービスあり

私の場合、さいきん雑誌の起業特集でよく紹介される「会社設立ひとりできるもん」という設立書類の作成サービスを使います。

解説に従ってネットで情報を入力すると、プロがチェックした上で登記に必要な書類をすべて作成してくれて、たったの7,350円。+5,000円で、出来上がった定款はそのまま行政書士さんが電子認証してくれるので、前述のコスト節約にもなります。

自分でぜんぶ手続きをするよりも、プロに頼んだ方が安いという怪・・・。ただでさえビジネスの立ち上げで時間が惜しいときですから、頼まない手はありません。しかも最短1日で書類完成!

資本金の払い込みは通帳コピーでOK

資本金の払い込みには、設立登記の前に銀行にいったん預けて出資金払込証明書というものを出してもらう必要がありましたが、現在は、代表者の口座に振り込んで通帳をコピーするだけで良くなりました。法人設立の障害のひとつだった要素だそうです。

「同じ住所」に同名/同業の会社がなければ登記可能に

今までは、同一の市区町村内に同名称/同業種の会社があると登記できない規制があり、事前に調査をする必要がありましたが、これが撤廃され、「同住所(つまり建物)内」で重複しなければ登記可能に。意図的に大企業と同じ名前の会社と作ると法に触れるそうですが…。

「事業の目的」の記載は緩くてOK

前述の類似商標規制が撤廃され、業種がかぶる可能性が低くなったため、定款に記載する「事業の目的」は、広い意味の定義でよくなりました。いままでは、かなり具体的に書かないと審査ではじかれたそうですが、いまは「飲食業」や「不動産業」というようなものでも通るそうです。

ただし、取引先が登記情報をチェックする可能性がある場合は、ある程度具体的に書いた方が良いという情報も。

登記住所は郵便物が届けばどこでも可

登記住所は基本的に「郵便が届けばどこでもOK」なのだそうです。

部屋番号などを記載しないで登記しても、郵便局に届け出をしておけば配達してくれるそうです。登記可のシェアオフィスや、私書箱の住所でも構いません。マンションでも、具体的に登記を禁止していない限りは、別にうるさいことは言われないケースがほとんどだそうです(看板も出さないし、人も出入りしない極小会社の場合)

 

さて、会社を作った後のあれこれについても、以前より条件が良くなったことはいろいろあります。中小企業向けの減税措置や、会計・決算のことなどなどなど。

詳しく勉強&経験してから、また書かせて頂くことにします。

「取材しやすい」ビジネスや仕事人に共通する8つの特長

前回は、ライターよし子さんの話を例に、2つの対照的なお店の「取材しやすさ」を解説しました。

今回は、その中に出てきた要素を、ひとつひとつ説明していこうと思います。

さて、ひっぱりだこの有名人を取り上げるようなケースは別ですが、多くの場合、他にもたくさんの取材先候補がある中からベストなもの、「少しでも取材しやすいもの」が選ばれます。

例えば、私が取材しに行ったことがある、デザイナーやパティシエさん達だと、実力なんて誰も似たり寄ったりで、決め手となるのは、悲しきかな「スケジュールが空いているか」だったりするんです。それが現実。

小さなビジネスをやっている仕事人の場合も、実力なんて似たり寄ったりです。努力している人なんて、当然、みなさんレベルは高い。私の経験から言うと、多くの場合、ビジネスの実力やネタの魅力自体には、決定的な差があることの方が少ないのです。

すると、それ以外の要素で、取材先が決まることは多くなる。「取材のしやすさ」は、その中の一つです。

メディア側には、すんごいネタを発掘したいという欲望はありますが、自分たちの評判や発行部数・広告収入がかかっていますので、少しでも確実で有利なネタを選ぶ。そりゃそうです。仕事はスムースに進められるにこしたことはない。

わたしが書く側、そして、取材して頂く側の実体験から導き出した結論としては、取材しやすいビジネスや仕事人さん達には、次のような共通の特長があります。

 

取材するかどうか考えている段階で、情報が一通り手に入ること

取材先を決めるときは、編集会議でどこを取材するかを検討します。

編集さんやライターさん達が、たくさんの情報を持ち寄って比較しながら、どれにしようかを決めます。このときの情報というのは、取材候補に「連絡を取る前」に集められたもの。つまりコンタクトをとる前に、取材に値するかを決められる情報がなんらかの形で手に入らないといけません。

自社のウェブサイトなり、別の雑誌に載った記事が必要です。よほどの斬新なネタの場合は「資料を頂戴できませんか?」という電話がかかってくることもありますが、そんな気まぐれに期待しても無意味。情報はどんどん公開しておきましょう。

取材先探しには、ネットで検索して情報収集することが多くなっていますので「発見してもらう」ためにも、あらゆる情報の公開が必須です。

写真や資料といった「素材」が用意してあること

マスメディアの仕事のスピードは、びっくりするほど速いと心得ましょう。取材の打診が来てから、写真を撮ったり資料をまとめたりでは、せっかく声がかかっても取材がキャンセルになりかねません。

締め切りに余裕がある取材でも、複数の取材先をかかえている編集/ライターさんが多いので、〆切より遙か前に記事を完成させられることは重要です。

小さな記事だと、取材先から提供される資料だけを使って記事を書くことも多く、写真は提供してもらった「ありもの」を使うので、数ページの記事でないとカメラマンさんは来ません。

経歴や実績などをまとめた、簡単な「プレスキット」を用意してあるとなお可。

電話がかかってきたら、すかさず「プレスキットがございますので、すぐにメールで送りします」と返せすことができ、ライターさんの仕事を効率化できます。 プレスリリースのような堅い形式でなくて構いません。要は、情報がちゃんと整理してまとめてあればOK。

「取材慣れ」していること

テレビに出てくる有名人たちが、スラスラとインタビューに答えられるのは、能力が高いからではなく、同じことを百回も二百回も聞かれているからです。

取材「される」側にも場数を踏んだ経験が必要です。

取材慣れしていると、同じ質問を何度もされているので答えが磨かれていて、取材する側もインタビューが楽ちん。良いセリフも引っ張り出せます。必死でネタを掘り出そうとしなくても、すらすら話してくれるのはありがたいのです。

こういった理由で、特に取材先のチョイスに失敗が許されないメジャー媒体は、小さなメディアに何度も登場して実績を積んだあとの方が来やすいのです。

フレンドリーで、大歓迎してくれること

はっきり言って、取材対応をめんどくさそうにする人のところや、フレンドリーではないところには行きたくありません。

どうせなら、取材を喜んでくれてビジネスに役立ててくれるところを、載せてあげたいと思っていますし、気持ちよく仕事をしたい。

好感を持てる取材先というのが重要なのには、もうひとつ理由があります。

政治や芸能のニュース以外は、基本的に「ほめる」ものだからです。読者・視聴者の役に立つ、良い商品やサービスを紹介するための取材なのです。

ライターさん達は、良いと思えるものほど感情移入してスムーズに楽しく書けます。自分が好きでは無いものを、褒めて書くというのはものすごくつらい。

あまり取材を喜ぶと、弱みを見せることになってしまうと考える人もいると思いますが、そんなことはありません。嬉しいなら表現しちゃいましょう。メディアとのつきあい方が上手な著名人の皆さんでさえ、例外なく特大の感謝の言葉を返して下さいます。

第三者の評価があるかどうか

マスメディアは読者数・視聴者が多く、社会的影響力が大きいですから、実体のはっきりしない小さなビジネスは敬遠します。何かの賞をとっているとか、小さな媒体でも良いので何度も掲載されいると安心して紹介できます。

舞台裏やスタッフの顔が見える

取材先として決める前に、記事に使えそうなネタがありそうか、写真映えがしそうなスタッフ/仕事場かといったことの参考に、ブログやスタッフの経歴などは詳しく読まれます。

日常の活動が綴ってあると、片手間にやっているビジネスなのか、本気でがんばっているのかなども伝わってくる。取材をしてあげたら役にたててくれそうな、がんばっているところを取材したいと思うのがライターさんの心情でもあります。

ネタを洗い出して、わかりやすくしてある

ライターさん達はプロですから、どんなにしょーもない取材になったとしても、面白い記事にまとめ上げます。ですが、記事のウリとなりそうな要点がまとめてあると、分析する時間も節約できるし、編集会議で通しやすい。

例えば商品に関して言うと、この要点は、誠実にやっているとか、がんばって作ったとか、美しい/使いやすいと言った主観的なものではダメで、誰が聞いてもすぐ理解できる客観性があるのが理想的です。そういった要素がないネタは、読者が食いつく記事の見出しが書けません。

「また取材してあげたいな」と思わせること

さあ、1回目の取材が無事に終わって、しばらくすると見本誌が届いたり放送されりします。ここで喜んで、安心するのはまだ早い!

取材しやすいところには、機会がある限り何度も何度も話が来るようになるからです。

新しい商品を出したときに同じ雑誌からということもあるし、フリーの雑誌ライターさんの場合には、他の雑誌のお仕事で来てくださることも。

新しいところに取材に行くのは神経が疲れます。できることなら、顔なじみのところにまた行きたいというわけでして。

ですから、お礼のメールを送って、きちんと感謝の気持ちを伝えましょう。素敵な記事になっていたら、ライターさんを褒めてあげるとますます良い。彼らもプロの誇りをもって書いていますので嬉しくなって、また取材してあげようと思うものです。

この先の連載で書きますが、ある有名なデザイナーさんの取材では、マネージャーをしている奥様から、私が書いた記事に対する丁寧なお褒めの言葉をメールで頂いて、瞬時にファンになってしまいました。自分の書く文章にプライドのあるライター達ですから、そりゃあ、褒められたいんです。

紹介してもらったことで、お客さんが増えたり売上げが上がったら、時間が経った後でも、報告してあげると、メディア側の人たちも「ああ、私が紹介してあげたのが、役に立ったんだなぁ」と感無量です。ビジネスに影響があったということは、読者が記事に反応したという証でもある。こういった情報はメディア側も知りたいことです。

取材先が小さなビジネスの場合は、苦労しているところも多いですから、また取材してあげたくなるという人情もあります。大企業と違って、かっこいいところだけ見せていれば良いというものでもありません。

これらの条件は、お客さんへのアピールにも共通する

今回ご紹介したノウハウは、メディアに載るためだけの小手先のテクニックではありません。

メディアが取材に来やすいということは、しっかりと対外的な発信をしているビジネスだということ。

逆に言うと、お客さんへの情報提供を積極的にしていれば、自然に取材がしやすい状態になっていると言えます。メディアの人たちは、取材や記事の先にいる「読者」(=消費者)にとって役に立つ情報を提供しようとしているわけですので。

この記事でご紹介したことをきちんとやっていれば、小さなビジネスや仕事人のみなさんでも、取材が来やすくなるでしょう。

斬新な商品や話題を提供しようとするだけでなく、メディアのプロの皆さんが仕事をしやすいようにお膳立てをしてあげてください。

「取材しやすい」という基本中の基本。たいせつなお膳立て

メディア作法についての連載の最初に、小さなビジネスを営む皆さんが、意外と見落としがちなことからお話することにしましょう。

それは、あっと驚く話題を提供することでも、変な小手先の技でもありません。

なにかと言いますと、

メディアの中の人たちは、できるものなら取材しやすいところに行きたい

ということです。

プロだって人の子。手間をかけずに楽しく取材したい

高度な理屈に基づいて、冷静沈着に取材先を決めているというイメージを持っている方は多いと思いますが、ふたを開けてみると、メディアの世界だって皆さんと同じ人間が動かしています。雑誌やテレビを動かしているのは、冷酷非情なロボット達ではありません。

だから「取材がしやすい」ことは、とても大切です。できるものなら気持ちよく、楽しく仕事をしたい。他のお仕事をしている人たちと同じですね。

特に、マスメディアの皆さんは日々、締め切りとストレスに追われていますから、できるだけ手間がかからず、リスクが低くて、確実に読者が喜ぶ(=売上げが増える)ネタを好んで取材する傾向があります。

例えば、こんな2つのお店があったとしましょう

デザイン雑貨を扱うA店とB店が、東京のおしゃれな街に店を出していました。

両店ともに小さいながらも、オーナーのセンスは抜群で、店に並ぶ品々は一級品ばかり。インテリアもロゴマークも格好良くて、店員のサービスもなかなかのレベルです。どちらも開店から数年くらいで、知名度はまだ高くはありません。

さて、デザイン系の取材を得意分野にしている、阿部よし子さんというライターが、東京の最新デザインショップを紹介する特集記事を担当することになりました。締め切りはなんと1週間後!もともと予定されていた企画が取材先の都合で突然ボツになり、空いてしまった10ページの穴埋めです。

さあ、どうするよし子さん!?

おお慌てで、自分が好きな定番の店をリストにまとめ、残すページはあと1店分。ネットや業界系の知人からの情報をもとに、比較的新しい2つのお店に的を絞りました。

こだわりのオヤジがオーナーのA店

まず、「A店」に電話をしてみると、運悪くちょうど店が混んでいたらしく、頑固オヤジ風の店長さんが出て、ちょっぴりご迷惑そう。「すみませんあとでかけ直します!」と丁寧にお詫びして電話を置きます。タイミングが悪いのだから仕方ありません、お仕事中ですものね。

とにかくまずは、取材対象として可能性があるか、ウェブサイトを入念にチェックです。

店長さんの経歴は数行だけ書いてあり、プロフィール写真は載っていません。お店の写真は外観が少々。他の雑誌がどんな切り口で取材をしたことがあるのかチェックしようと、メディア掲載歴を探しますが見当たりませんね。やはり電話で詳しく聞かないと、取材に値するか判断がつきません。お店に行っている時間もありませんし。

むーん、やだなぁ、あの怖いおじちゃんに電話するの。文章はA級ですが、ライターさんによくある文系で、ちょびっと気の弱いよし子ちゃんなのです。

優しいお姉さんががんばっているB店

気をとりなおして、今度は「B店」の方のウェブサイトをチェックです。

こちらは、店長さんの経歴とこだわりが事細かく書いてあります。こんな人のお店なら、きっと商品もステキに違いない。

ブログは毎日更新されていて、ざっと見ただけでも記事に使えそうなネタが山盛り。海外からの仕入れの苦労話や、入荷したばかりの新商品についても情熱的に書いてあります。オーナーさん、がんばってますね!

メディア登場の実績リストも小さな媒体ばかりですがわかりやすく、ちょうど持っているインテリア誌にも載ったと書いてあったので本棚から引っ張り出すと、おお、店のインテリアも写真映えがするし、店長さんも写真うつり抜群。インタビューも慣れていそうな雰囲気です。

さっそく電話してみると、やさしそうな声のお姉さん店長が電話に出ました。取材先として検討しているとお話したら大喜びしてくださって、資料と写真を1時間以内にメールで送ってくれるそうです。超たすかる!

今日中に取材先を決めて、担当編集さんに候補店リストをメールしないといけないので、ここは確実に良い記事になりそうな、B社の方にするのがよさげです。昨夜は2時間しか寝ていないライターのよし子さんは、体に鞭打って、キーボードをたたき始めるのでした。

 

さて、この連載の次の記事では、この話の中に出てきたひとつひとつの「取材されやすい」要素について、ざっと解説をすることにします。

 

{写真:自分でデザインした商品を撮影する著者。2010}

連載はじめます。ちょっと変わった「マスメディアとのお付き合い作法」小さなビジネス&自営仕事人風

自営のプロや、小さなビジネスのオーナーさんなら、雑誌やテレビに取材してもらいたいと思ったことは、一度や二度はあるでしょう。

もしかすると、本屋に行って、マスコミとのつきあい方を指南する本を手にとり、パラリパラリとめくってみたこともあるかもしれない。

でも、そういう広報活動の本を読んでみると、「テレビ局にしつこくプレスリリースを送ればそのうち誰かの眼にとまる」とか、小難しいマーケティング戦略がどうのこうのとか書いてあって、ゲンナリします。

こういった本は、大企業にお勤めの方向けに書かれているものだから。

小さなビジネスとして、どんなPR活動をしたら良いのかということになると、地道に口コミでお客さんを増やせとか、毎日ブログを書こう!とか、誠実にサービスしようとかいう程度のノウハウしか転がっていません。

手に入るものと言えば、自称ビジネスコンサルタント達による怪しげな有料メルマガの類いや、聞いたことがない出版社による「楽して儲かる!」的な、間抜けなタイトルばかり。

ぜーんぜん、参考にならない。

楽じゃなくて良いから、自信のある最高のサービスや商品を、たくさんの人に知ってもらえる方法が欲しかった。

それから数年。自分の実体験から、小さなビジネスをやっているプロのために、マスメディアとのつきあい方を、私が書いてみるのもおもしろいかなと思いました。あったら自分が読んでみたいな、と。

いちおうデザイナーなはずのわたしが、こういうネタを書いても怒られない理由は、2つあります。

取材をしに行く「ライター・編集者」の視点

美大時代から、クリエイティブ系専門誌を中心に、ときおり書いてきました。

最近では、メディアとのつきあい方が超A級の佐藤可士和さんのような、有名なデザイナーさん達を取材させて頂いたこともありますし、スイーツ誌の仕事では有名なパティシエさんも取材しました。

ついこのまえは、ハリウッド版「Shall We Dance?」の衣装をデザインしたノルウェー人のおじちゃんを英語で突撃インタビューしたり、NY時代には、カメラを担いで美術館や社会起業家さんを取材しに行ったこともあります。

だから、専業ではないものの、ライターなり編集者として「取材に行くプロの眼」を持っています。どんなものが取材しやすくて書きやすく、そしてどんなものなら読者が喜ぶ=雑誌が売れるかを知っています。

幸か不幸か、自分が取材をされた回数よりも、取材に行った回数の方が多いというわけで・・・(しょぼ~ん)。

振り返ってみると、取材した対象は、専門職の仕事人や、自営の小さなビジネスが多かったと気付きました、いま。

のどから手がでるほど取材されたい「弱小ビジネス」側の経験

メディア側の仕事をしたことがある方はたくさんいらっしゃいますが、私の場合、ここからがちょっと変わっています。

この年末までの数年間、当時のガールフレンドを助けるために始めた、超低予算の花屋ビジネス立ち上げで、自分がデザインした商品を、自らプロデュースして売るということをやりました。

これが恐ろしいほど勉強になった。

メディア側の経験者という自負があったので、あの手この手で取材してもらえるように工夫しました。広報予算なんぞまったくありませんから、あたかも無料広告のように利用できるマス媒体が頼みの綱でした。

ところが、私の意図した通りにうまく行ったこともありましたが、まだはじめたばかりの弱小事業では、どんなにおもしろい商品を作っても載せてはくれなかった。

読者数が多くて社会的な影響力が巨大だから、どこの馬の骨とも知れない実績の無いものは、リスクが高すぎて載せてくれないという壁があることがわかりました。

特にスタートした頃は、空振りのしまくり。小さなビジネスや、はじめたばかりの仕事人が超えなければいけない壁というものがあることを実感した。

でも、数年経ってきたら、メジャーな媒体からお声がかかるようになっていました。ああ、マスメディアって、こういう仕組みになってるのねと知るに至りました。

デザイン屋が書く、ちょっと変わったマスメディア指南

これからどんどん増殖するであろう、小さなビジネスや自営仕事人のための、マスメディアとのお付き合いの作法を、この私の2つの実体験から、不定期で少しずつ書いていきます。

阿部書店を立ち上げていく中で起きる出来事も、リアルタイムで登場するかもしれません。

良いものをつくれば勝手に取材が来ると信じている、そこの職人肌のあなた、この連載、ぜひ読んでください。せっかく良いものをつくっているのに、もったいないです。

 

{写真:美大時代にNYから書かせてもらっていた「デザインの現場」誌(美術出版社)に、日本の若手デザイナー代表として自分も登場。当時21歳くらい。イタリア人デザイナーのセルジオ・カラトローニ氏と東京を歩く企画でした。1997年10月号「プロダクトデザインを考える」巻頭記事}

受賞マークデザインのはじまり。アイデアは偶然の連続から生まれる

年末に香港の空港で買った「Well Being」という本。数日前にちょっと読んで、キッチンのテーブルの上に置いてありました。

このまえ私のツイッターで書いた、「物を買う喜びは、買った瞬間が頂点で、その後消えていく。けれども、旅や勉強のような『経験』にお金を使えば、一生思い出して楽しめるので超お買い得」の元ネタ本。幸せな人生を送っている人に共通することを、科学的な大規模リサーチで明らかにした内容です。

わたしは朝食をつくると、その本の表紙をボーッと眺めながら、塩鮭をつつき、小松菜と油揚げの味噌汁をすすっていました。

陶器のような白地がメタリックレッドの円で囲われ、エンボスのかかった大人な雰囲気の書体の文字。

…これ、妄想中の出版社が主催するアワードの、受賞マークにしたらかっこいいかも。

手近なペンとプリンター紙にちょっとスケッチをしてみました。思いつきで、阿部書店のイニシャルAを、ドーンと中央に描いてみた。こういうエンブレムは、遠くからでも、小さく印刷しても読めることが大切なので。

デザインというのは、だいたいこの程度のきっかけから始まります。そして、妄想に具体的な形が与えられる。

企画が頭の中にあるときに、たまたま眼に入ってきたもの。それがインスピレーション源になることは、よくあります。

今回のような本のデザインということもあるし、電車で隣に立っていたお姉さんの服の色や、道ばたで見かけた看板ということもある。美術館で見た絵の色使いや、彫刻の形というものから影響を受けることあります。

「A」という一文字を描いてみたら、ほー、これは悪くないと思いました。それには、理由があります。

最初は私自身にも、会社にも、アワード自体にもブランド力はありません。だから、何も知らない人がパッと見たとき、瞬時に「なんかAレベルの評価をもらってる商品なのね」と、感じてもらえることが大切だろうと思ったからです。

さて。その数日後のこと。

四谷三丁目交差点のカフェで仕事を終えた、夜11時。

わたしは、のんびり歩いて家に戻る途中、業界人御用達の荒木町飲み屋街の前の横断歩道で、信号が変わるのを待ってました。すると、目の前の客待ちタクシーに「丸A」のマークが。

そこには「TAXI RANKING」とある。そんなランキングは聞いたことも無いですが、意味はすぐに理解できました。私の理屈が正しいことを実感。

こういう偶然の積み重ねの末に、素晴らしいデザインやアイデアは生まれます。必死で探しているときに限って、見つからなかったりする。

神経さえ尖らせていれば、向こうから勝手に飛び込んできます。わたしの名案は、どれもそうやって産声を上げてきました。