不良妊娠夫婦、極秘で香港へ高飛び。

なぜか香港旅行は、そのたびに、誰にも知らせずお忍びになっている。

前回は、さかのぼること半年前の冬。嫁が妊娠5ヶ月になり、お腹がぽっこり。出産前に海外旅行できるのは、このあたりが限界だろうということになり、まわりに心配させないように極秘で4泊5日。

Expediaのホテル+飛行機セット割を使い、2人前・総額12万円でした。エアラインはキャセイ・パシフィック。

ペナン島と東京でお医者さんに聞いた話では、「妊婦×飛行機」は半分迷信のようなもので、実害よりも、親や周囲が心配するという人間関係の方が問題とのことです。香港は医療事情も良いので、疲れ過ぎないようにとのアドバイス付きで、ドクターのOKをもらい。極秘の隠密旅行へ。

ネット投稿厳禁。ほとんど駆け落ちみたいで萌えです。無事に出産したので、めでたくネタ解禁。

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飛行機の座席はVIP待遇。一番前の広い3席を使わせもらい、アテンダントさんが何度も水を持ってきたり、様子を見に来てくださり。双子で通常の5ヶ月腹よりも大きかったので心配してくれたのかもしれませんね。

美大時代に4年住んだニューヨークは、そこにいるだけでエネルギーがチャージされる気分になったものです。香港も、小さな島の縁につくられた狭い土地につくられた都市なので、ビルはどれも高く、歩く人々のたくましく活き活きとした表情も、まさにアジア版ニューヨーク。

東京に戻ると、ずいぶん広々とした、田舎の街だなぁと感じます。

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カンボジア早朝のトゥクトゥク。ノーヘル◯学生に追い抜かれる。

1週間のプノンペン出張の最終日。早朝、空港までトゥクトゥクで向かった。

運転手のワンさんが「子供を学校に送ったあとでいいか?」というので遅い出発になり、渋滞に巻き込まれると飛行機に乗れなくなるペースだ。いかにもアジアな朝の喧騒に加えて、時計を気にしながらのヒヤヒヤな移動。

こういうのは、まったくもって嫌いではない。

アジアでは良く見かける三輪タクシーですが、激しくぼったくられた上に怪しげなところに連れていかれるバンコクのトゥクトゥクに比べれば、プノンペンのそれは極めて健全。この国の人はみな、明るく正直もののようだ。

地元生活が長い知人によれば、夜明けが早いプノンペンは、会社の始業時間が8時と早いらしい。そろそろ通勤ラッシュがはじまる時間帯。数えるほどしか信号機の無い街を、ときには交差点のガソリンスタンドの敷地を爆走して、ワンさんは裏道を右に左に曲がっていく。

国際空港にトゥクトゥクで向かったのは、はじめてのこと。ふうむ、これは率直にタクシーよりも楽しいじゃないか。

風とバイクの騒音を浴びながら、そんなことを考えて喜んでいると、隣を、ノーヘルで三人乗りした中学生のスクーターが、猛スピードで追い越して行った。

ゆるいな、プノンペン。

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仕事を抱えて、夢の国『バリ島ランド』。ランチは涙のカップ麺

仕事を丸ごとカバンに突っ込んで、夫婦でバリ島に滞在中です。

マレーシア滞在が3ヶ月に迫ってきたので、短期滞在ビザの更新で、一度国外に出る必要がありまして。まだロングステイビザは持っていないもので。

ゴージャスに遊んでいられるほど金も時間も余裕がないので、朝夕にビーチの散歩などしつつ、おとなしくいつもどおり仕事してます。日本とサンフランシスコのクライアント様の締めきりに追われつつ、嫁と阿部書店(株)の新事業ネタ出し合宿。

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バリ島へ飛んできた理由は、主に飛行機と滞在費の安さ。それから、リラックスして仕事ができること。バンコクも候補の一つでしたが、猥雑だし、最近あまり良い経験が無いので却下。そろそろ40歳なので、落ち着いた場所が好みになってきているのかもしれません。

飛行機が2回事故ったせいで、マレーシア航空が激安でした。ペナン島から、クアラルンプール経由でバリ島への飛行機が往復2.6万円ぽっきり。LCCのエアアジアよりも安い。そのせいかほぼ満席でした。

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最近はバリ島にもこぎれいなツーリストホテルが沢山建っていて、2人で一泊3,000円以下、朝食ビュッフェ付きなど。10年前は、高級リゾートか激安ゲストハウスの2択状態だったもんですが。(写真:滞在しているレギャンビーチのamarisホテル)

南国のペナン島に住んでいるから、冬の日本から来るのに比べると、感動は薄れます。贅沢な話ですが、まあ、そりゃそうか。

物価の安さに関しては、少し想定外の事態。ここ数年で、観光客が押し寄せているようで、レストランなどの物価がかなり上がっている様子。変わらないのは、足マッサージ1時間500円と、タクシー代。予算オーバーなので、お恥ずかしながら、昼飯はコンビニでカップ麺。

ところで、入国審査の行列で1時間半待たされ、冒頭から疲労困憊。驚きました。しかも9割が西洋の方々。飛行機が同時にたくさん到着してパンクしたのか?それともいつもこんなふうか?

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そして、入国には観光ビザ代、35ドル(約3,800円)。

入場料と大行列。どこかでこういうの、やったなぁと思ったら、あれだ、あれ。

『バリ島ランド』と命名します。

夜のシンガポール発、マレーシア・ペナン島に上陸。家探し編序章

数日滞在していたシンガポールのチャンギ空港から、夜19:40発のJetStar便に乗り、ペナン島へ飛んだ。

およそ1時間半の短い空の旅。シンガポールは、マレーシアの先端にくっついている小国なので、国内線のような感覚だ。時差も無い。

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東南アジアは、LCC(格安エアライン)の巨人たちが肩を並べる地球の一角なので、いろいろな安いチケットの選択肢があるものの、AirAsiaのシンガポール発ペナン行きよりも多少安かったので、JetStarで飛ぶことにした。

ジェットスターはオーストラリアのカンタス航空系で、格安エアラインの割にデザインのセンスがそこそこ良く、自分好み。エアアジアの方は、内装やら制服やらの色合いとデザインが、言うなれば錦糸町のチープなキャバクラといった風情。微妙な差ではあるものの、選べるならJetStarの方がいいなあ・・・と、このフライトで想いを新たにす。

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ペナン国際空港から、空港公式の定額制タクシーでホテルに向かった。空港はペナン島の南端にあり、中心部の北側へは高速道路を走って30分ほどの移動。

窓の外を流れていく夜の景色は、どこの国でも共通の、空港からの高速道路の眺めで、地元の人が住んでいるであろう質素な風貌のマンションや、シャッターの閉まった店、暗いオフィスビル、そして大きな看板が、街灯とともに流れていく。

途中、ハードディスクで有名なWestern Digitalの工場が眼に入った。あとで聞いたところによれば、ペナン州は税制優遇で海外企業をたくさん誘致していて、日本をはじめとする世界各地の工場があるそうだ。昔ほどではないと聞くが、いまでも日本の駐在員がたくさん住んでおられるのはこれが理由。

道中、タクシーの窓から左右の光景を、嫁としげしげ観察。大きなスーパーやら、コンドが見える度に、このへんはどうかね?と話は絶えない。空港からの道すがらは、地元色が強く、外人向けのリゾート感は無い。致命的なのは、本土との橋もかかるこのあたりの島の東側は、どう見ても車での生活が前提な雰囲気であることだった。私たちは車を買う気は無いので、歩いて生活できる場所が条件なのだ。

明日から始める住む家探しでは、島の北側を中心に歩いてみるのが良さそう。東側が、事前に調べて、家賃が安かったのは、地元の人向けのエリアだったからのようだ。

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ずっと続いたロマンティックではない郊外の景色が終わり、急に、歴史感ある低層の建物ばかりが建つエリアにタクシーがさしかかった。2008年にユネスコ世界文化遺産に指定されてた歴史地区だ。

夜で人影がほとんどなく、開いている店はほとんど無い。もっと観光地化している賑やかな場所かと想像していたが、思ったより地に足のついた静かな街のようだ。頭を「不便」という二文字が横切る。

アジア圏に強いAgoda.comで予約してあったツーリストクラスの「Armenian Street Heritage Hotel」 は、世界遺産エリアに建つ比較的新しいホテル。ペナン島の地理に詳しくなかったので、このあたりが中心部かと思って選んだものの、翌日には、世界遺産エリアは古い下町で、地元の人が住む一般的エリアでは無いことが判明する。

なぜにホテルの名前に、東ヨーロッパ・アルメニア共和国の言葉がついているのかと不思議に思ったが、アルメニア人の歴史的人物にちなんだ名前の通りが近いからだという。

この島は、ある種、香港のような歴史をもつところで、何百年もの間、インド・中国・マレー・日本・ヨーロッパなど、様々な国の商人が住む貿易拠点だった。その多様性は、現代にも引き継がれていて、マレーシアの中でも特に、いろんな民族が住んでいる場所。この島に外人が住みやすい背景には、そういう長い歴史があり、いまでは日本や西洋の国々から移住する人が増えているから、自分が外人だという意識はさらに薄れる。ニューヨークに4年住んだことがある自分には、この溶け込める感は、ことのほか嬉しい。

IMG_20140623_230719 (1)チャンギ空港で軽い夕食を食べただけなので、さすがに腹が減った。午前中にホテルをチェックアウトしてから、炎天下のシンガポール植物園を歩きまわって汗だくだったが、街があまりにも静かなのでシャワーも浴びず、レストラン危機を感じて二人してホテルを出た。

まだ夜10時だというのに人影がほとんど無く、静まりかえっている。世界遺産に指定された絡みで、営業時間の規制でもあるのだろうか?遅くまでやっていそうなカフェを調べてから出てきたものの、マレーシアのSIMチップをまだ買っていないのでスマホの地図が使えない。南に向かっていたつもりが、15分ほど歩いてから、真逆に歩いていたことに気付く。方向感覚が抜群だという自負があると、こういうときに深みにはまる。

たどり着いた場所は、インド人街だった。シンガポールでも宿が安かったリトルインディアに泊まったので、インドに縁があるようだ。夜おそくはインド人以外働いてないのか、このあたりは?

大きなオープンレストランなのでファンによる空冷。夜なのでさほど暑くはない。あっという間に出てきた飯は、期待以上に美味かった。妥協して入った店だったが、後日、TripAdvisorの人気店「Restoran Kapitan」だと知る。タンドリチキンのプレートセットと、バターチキンカレー、ナン、ラッシー2種。これで約700円。安い。タンドリチキンは、自分が日本で食べていたパサついたものとは雲泥の差で、もちもちしっとりした食感。いつも私よりも腹が減るのが早い嫁は、幸せそうにラッシーをチューチュー吸っている。

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翌朝。モスクのスピーカーから大音量で聞こえてくる、祈りの声で眼がさめた。

マレーシアは日が昇る時間が遅くて、時間の感覚が狂う。窓を開けると外はまだ暗い。再びベッドに転がり込んで天井を見上げると、謎の矢印が眼に入った。お祈りのための、メッカの方角だろうか。そう、この国は、われわれ日本人にはなじみの無い、イスラム教の国なのだ。

今日からの家探しの条件リストに、「モスクが近くにないこと」を書き足した。

セブ島のスコールはすぐ通り過ぎる。人生のあんなことこんなことも

ヨメが通う英語学校前の広いロビーで待っていると、みるみる外が暗くなってきました。絵に描いたような、スコールが来る前兆。

セブ島は、6月からの半年が雨期で、それにあわせてホテルも安くなると聞きます。

滞在2週間ぽっちの日本人が見ても明らかに怪しい空の色でしたが、授業終わりのヨメと、スーパーマーケットに行く待ち合わせだったので、オレンジ色の折りたたみ傘を短パンのポケットに突き刺し、のこのこ出かけました。

工業デザイン専攻のデザイン屋としては、雨の日でも車にはねられないよう、傘は蛍光色に限るというこだわりでして。

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道すがら、空がどんどん暗くなっていきます。雲がすぐそこを流れていて、グルグル渦を巻いています。滝壺に突き落とされておぼれるている真っ最中、天国の方向を見上げたら、こんな感じに見えるのではなかろうか(想像)。

この国ではちょうど今が夏休みで、南フィリピン大学のセブキャンパスは、まだ人影はまばら。3時10分。授業が終わって一斉に出てきた英語学校の留学生たちに混じって、ヨメ登場。キャンパスを出ると、もうポツポツ降り始めていたので、早足でJYスクエアという小さなショッピングモールまでのボコボコ道を急ぎます。

着いたとたんに、土砂降りスタート。

日本の雨は降り始めると、シトシトと1日中降り続いたりしますが、南国のスコールは、バケツをひっくり返したような勢いで30分ほど降り続け、そのあと、何事も無かったかのように、ケロッと日差し照りつける南の島に戻ります。

しばし私たちも、雨宿り客で大混雑のマクドナルドにて、買い物を始める前に時間つぶし。

ガラスの向こうには、おとなしく止むのを待っているセブの地元の人達が集まっていました。慌てず焦らず、おとなしく入り口の屋根の下で、雨雲がとっとと通り過ぎるのを待っているようです。

ところで、日本でもベストセラーになっている、自制心に関する実用書『スタンフォードの自分を変える教室』に登場する科学的実験によれば、人間は、目の前にある不幸や大問題はこの先の将来も永久に続く、というありえない幻想を持つ傾向があるようです。言うなれば、日本の梅雨のように毎日降り続くもののように感じる。

人生にスコールがやって来るときはよくありますけれども、セブ島の人のように冷静にやり過ごすというのも名案かもしれません。どんな災いも、しばらく待ってりゃ、勝手に通り過ぎますので。

お釈迦様の教えによれば、不幸も幸福も、人生を形作る重要なパーツなので、どっちが多い方がよいという話ではないということです。どれも人生の一部、以上・・・というわけで。