アメリカ人のおっさんとアツカン勝負。そして日本人が英語を話せない本当の理由。

当家がマレーシアに旅立つ前の正月明け。アメリカ人の旧友と東京で飲みました。

このおっさんは、ただのハゲオヤジではありませんで、NYの巨大美術館『MoMA』で修復部門の偉い人をやっています。交友関係が、超一流の建築家やデザイナーばかりなので、わたしのようなフツーの仕事人には用がないお方ではございますが、なにせ私が家具作りをカリフォルニアで勉強していた頃から、20年以上の付き合い。

この二人ですが、10年前にも御徒町であれこれチャンポンで飲みまくり、私は記憶がすっとび、彼は冷たくなった風呂の中で眼が覚めたという実績がございますが、さすがに少しは人生経験豊富になりましたので、そのあたりは心得ております。

飲み放題開始後30分。この日の最低気温は0度だったもので、「寒いからとっとと熱燗で温まろうぜ!」ということで日米合意。ニューヨーカーは「アツカン」くらいの言葉は余裕で知っているので驚きますね。このひとは、前世は日本人だったと、自他ともに認めているので、分野によっては私よりはるかに詳しいのです。

その日本マニアですが、時差ボケで眠れず、鼻ズーズーというベストコンディションだったんですが、にもかかわらず、ま〜よく喋りますね、アメリカ人は!

ネイティブの英語スピーカーが相手だと、そこそこ話せるわたしでもプチ緊張するものですが、酒が入るとプライドがシャットダウンするので饒舌に。熱燗パワー。

何を考えているのかさっぱりわからん!と世界的に名高い、礼儀正しき日本人も、酔っ払うと口と脳みそが直結するので、一歩アメリカ人に近づきます。それでも、相手がニューヨーカーともなりますと、勝負するまでもなく「大人しい日本人」ですが・・・。

ところで、アメリカの皆さまが沢山お話しになるのは、おしゃべりだからではありませんで、実はコミュニケーションの仕方の違いです。そうせざるを得ない理由がある。

日本人ですと、頭で考えていることの中から厳選して「3割」くらいを口に出すイメージですが、アメリカ人はその率が「8割」にも達するかんじとお考えください。選別せずにほとんど喋ってしまいます。したがって、量こそ話しますが、内容は2倍以上薄くて、スカスカ。それを言ったらお友達終了してしまうネタ以外は、どんどん口に出す。

彼らは、正しいことを言おうとは考えていないようで、喋ってしまってから間違っていればお互いにツッコミを入れまくりますし、相手の反応によってはフォロー発言したりという流れ。語学的な精度よりも、伝えることの精度が重視です。

というのも、アメリカ国は、あまりにも価値観が天と地ほども違う人達ばかりなので、口に出してしまわないと相手が何を考えているのかわからないわけです。たくさん喋ってコミュニケーションの精度を上げている。日本人どうしだと、まあ、お互い好きなものは似たようなものですし、5割くらいは伝える必要が無いという前提がある。すごく楽ですね。ところが、アメリカ人となりますと、肉を食う人かもわからないし、向かいで熱燗をペロペロ舐めている彼のようにゲイも多いので、会話の大前提が、最初っから崩壊しちゃってるわけです。お互いバンバンしゃべって、さぐりを入れるしかない、とでも申しましょうか。

日本人思考の自分は、できるだけすくない言葉数で、びしっと一発で決めよう!とか考えてしまうわけですが、そんなことを狙ってオタオタしているうちに、会話はどんどんアメリカ人のペースで先に進んでしまい、電車に乗り遅れてしまう。

日本人が英語が下手くそだと言われるのは、言語的な話ではなく、この会話の仕方の違いではないかと思っています。いくつかある大きな理由のひとつ。いくら「英語」を勉強しても、話せるようにならない原因かと。

酒もまわってきましたところで、ついでにご紹介ですが、この酒場は、100種の酒が100分間・1000円でセルフサービス飲み放題でして、四ツ谷では知る人ぞ知る人気店「ウシカイ」。この界隈にオシャレ飲み屋を展開する会社がやっている、ボロい居酒屋ですが、飯も安くて美味いので、よく海外から来た友人を連れて行きます。

セルフをおもしろがって、アツカンコーナーへ何度も何度も汲みに行っていた旧友ですが、時差ボケかつ風邪気味で酔っぱらいすぎたようで、ついにギブアップを頂戴しました。

会話では勝てっこない勝負でしたが、酒では私が勝ってしまったもようでございますよ。

良い花屋を瞬時に見分ける、たった1つの簡単テクニック。元花屋、どや顔で語る

デザイン屋の私が、偉そうに花業界のことなど書けるのには理由がありまして、当時の相棒と数年間花屋をやった経験があるからです。

今年は、5月12日・日曜日が母の日。毎年このときばかりは、ふだん花を買わない人も花屋に向かうようで、全国のお花屋さんは、年間の売上げの1割をたった数日で稼ぎ出します。

花の業界に足を突っ込んではじめてわかったのは、街の花屋の大半は、腐りかけの花を売っているクソ花屋だということ。大枚をはたいてお母さんに送る花ですからね、元プロの経験から、良い花屋の見分け方を伝授させて頂きます。

いきなり結論からいきます。極めて高確率で、かんたん見分けられるポイントは1つのみ!

良い花屋の証拠は『店頭に花1本単位の値札をきちんと出していること』。

これだけです。

値札の有無が、何を意味するのか? それは店の舞台裏を経験するとすぐわかることなのですが、値札を出している花屋は鮮度に自信がある目印だからです。「花なんて、市場で仕入れてきてからすぐ売ってるんだから、どこでも鮮度は似たようなものでしょ?」と思っているアナタ、それは素人考えです。

この値札が、花屋の営業方針を象徴しているのです。そこには、日本では、花が主に「贈り物」としての買われる商品だということが深く関わっています。

ギフト商品は、買う人と、実際に使う人が違います。

つまり、あなたのお母さんなり口説こうと思っている女子なりが花束を受け取った翌日に枯れてしまったとしても、買った人が気付く術がありません。受け取った側も、送り主に「すぐ枯れてしまった!」などと無礼なことは報告しません。腐ろうが、花びらがまとめてボットリ落ちようが、礼儀正しい日本人なら、ゴミ箱からはみ出ている花の束を横目で見ながら、「綺麗なお花を部屋に飾って楽しんでいます!」と、礼状など書いてみたりするでしょう。

この、買った人からも受け取った人からも怒られない、という好条件をうまく利用して、恐ろしいことをやっている花屋が、結構あります。つまり、

しょーもない花屋は、腐りかけの花から優先的に使って、贈り物の花束にして売っているという驚愕の事実。

スーパーが賞味期限の短い牛乳から先に売りたいのと、同じモチベーションです。

花は種類によって、寿命がだいたい決まっていて、簡単な手入れさえすれば1〜3週間程度は綺麗に咲き続けます。ところが、私が手伝っている当時「花を貰っても、数日で枯れちゃうから、あまり欲しくない」というお客さんの言葉をよく聞いて、んなアホな!と思いました。数日で枯れるということは、花屋に1週間とか、下手すると数週間置いてあった花に違いない。冷蔵庫で仮死状態にするとそれが可能なのですが、常温に出したとたんにあっというまに老化がすすみ、さらに結露した水分がたまって腐り始めます。

普通のビジネスだったら、高価で大切な贈り物商品には、特に鮮度の高い花を優先して使いそうなものです。ところが、街の小さなお花屋さんの多くは、その真逆をやっているらしく、それを知ったときに度肝を抜かれました。

1本1本の値段がきちんと書いてある花屋がなぜ良いのかというと、数本単位で買う花は、自宅用として買われるものだからです。

買う人と使う人が同じなので、鮮度が悪くてすぐに枯れたら、苦情を言ってくるか、無言で別の花屋に乗り換えてしまう。逆に1本単位の値札をつけていない花屋は、どうしてつけていないのかというと、いくつか理由がありまして・・・。

ひとつは、値札を付けるのが超めんどくさい、ということ。

花は生き物なので、賞「見」期限がありますから、市場で仕入れると、痛んでいるものや売れ残り率を考え、だいたい、仕入れ値の3〜4倍くらいを店頭価格にします。1本400円の薔薇は、市場でたいだい100円台で仕入れます。これは、実際に売っているとまあ妥当な倍率です。

「じゃあ、単純に計算して書きゃいいじゃない」と思う方もいるかと思いますが、実は、日に日に鮮度が落ちていくので、古い花は値下げをしていかないといけません。この管理も結構手間。怠慢な花屋は、そんなことはしません。

例えば、ある花の寿命が1週間だとすると、仕入れた直後に売れば1週間楽しめたものが、5日経つとあと2日しか鑑賞できない。花というのは、鮮度が高いほど楽しめる時間が長い商品です。

まともな花屋だと、その残日数にあわせて数日おきくらいで値引きをします。花屋で何本かおまけしてくれたりする理由の半分は、売れ残っても困る古い花をあげていることも多い。残ったら廃棄費用がかかりますので。花の値段は仕入れた日によって、上がったり下がったりもするので、正確に売価を計算しようとすると、何度も値札を作り直さないといけないということもあります。

花1本ずつの値段をしっかり表示している花屋は、鮮度に自信を持っているという証拠なのです。店頭は花の材料倉庫も兼ねているので、花束を買っても安心。そして、ドンブリ勘定で束にして高く売ることしか興味が無い花屋に比べ、品質や仕入れ日・価格を管理する地道な作業に手間暇かけているという、まともなビジネスならばごく当たり前のことやっているという事実の現れでもあります。

花業界が長い有名なフローリストさんから聞いた話ですが、実は、街の花屋の多くは、何十年も前に花屋を始め、店をビルに建て替えて家賃収入で食っているのだそうです。大人気の花屋にしようなどという、モチベーションがあるわけもなし。ほとんどのお客さんは、花はどこで買っても同じだと思っているので、一番近い花屋で買いますから、客足が途絶えることもない。店の上を見上げて、マンションぽかったら、む〜怪しい〜ぞぉ、と思いましょう。

もちろん、マジメに商売をしている店もあることはお伝えしておきます。花の回転が早い人気店や、有名店も鮮度に関しては問題なかろうかと。

最後に、母の日に花束を贈ろうという方に、私からのアドバイスをひとつ。

母の日の前後の花屋は、朝の新宿駅並みに混んでいて修羅場と化します。どうしても花束のつくりやサービスが雑になりますし、花の相場も上がりますので同じ金額の花束だと母の日の頃はお得感が下がります。売り手側として、母の日前の1週間にテンパリまくった私のオススメは、数日くらい早くプレゼントしてしまうか、花業界の混乱がおさまってから買うこと。サプライズ感もあっておすすめです。

マレーシア移住?!ある週末の妄想がリアルになるまで

有楽町のビックカメラの向かいに、「6th by Oriental」という、気に入っているバー・レストランがある。

南国アジアの高級ホテルや、ニューヨークのしゃれた店のインテリアを思わせる、どことなく異国情緒漂う店で、サービスも日本ぽくない。どこが日本ぽくないかというと指さしにくいのだが、若い時にあちこちの国で飲み歩いた思い出がよみがえる空気が漂っているのだ。

3日前のこと。四谷の自宅から、皇居の桜を眺めて1時間ほど散歩し、この店の奥の方の、静かなラウンジに相方と座って、サングリアをカラフェで頼んだ。客もまばらな土曜日の昼過ぎ。

さて、人生というのは、何かすごいことがいまにも起ころうとしているときには、いっぺんに波が次々と押し寄せるものだ。

例えば、このサングリア1杯から始まる、この週末の数日。

巨大な氷が押し込まれた寸胴のグラスから、紫色のドロッとした濃い口のサングリアをグビグビと飲み干した。アルコールが頭に届く頃には、よくニューヨークやアジアのこういう小しゃれた店で、悪友達と飲んだものだと思い出していた。

最近は大きな旅は年1回になっている。相方は、弁護士事務所勤務のカタギのおねーさんなので、急に出かけたりはできないし、ひとり旅もつまらないからだ。

気分転換に、仕事を抱えてどこか安いアジアの国で、自主缶詰にでもなってこようか。そういうことを、ご機嫌でニコニコしている彼女に話してみると、ひとりで行ってきてもいいわよ、と申す。

しからば、どこに行こうか?と考えてみたが、これといって行きたい国が思いつかない。

そんな贅沢な悩みを考えつつ、歩き疲れて家にもどり、カウチで脱力してテレビをつけたら、『国も人もあたたかい!海外南国暮らしのすすめ ~タイ・フィリピン・マレーシア~』というのが自動録画されていた。ちょうどよいタイミングだ。お茶の間番組・世界ふしぎ発見で、こんな特集をやる時代が来たか。

日本の退職組に人気の移住先が紹介される中、意外にも、マレーシアは中年家族が移住して、子供を現地の良いインターナショナルスクールに行かせている人もいるという。若い人でも金銭的な条件だけ満たせば、居住ビザ取得のハードルも比較的低いのだという。いままで考えたこともなかった国だけど、おもしろそうだ。ほう、現地で子育てという選択肢もありなのか!と、相方と盛り上がった。

観ている最中、電話が鳴った。ロンドンに住んでいる元中国人の実業家ロニーが、嫁(日本人)と子供を連れて、いま東京に来ているという。焼き鳥にいくからつきあえという呼び出し指令。その夜は、彼がロンドンやら中国奥地に買いまくっている不動産の話やらなんやらの話を肴に、英語で酔っ払った。中国人の国境を越えたたくましさには、いつも感心する。日本人が逆立ちしても真似できないたくましさだ。

妄想というのは、いきなり降ってくるものじゃなく、小さなきっかけの積み重ねではないかと思う。

実はサングリアでほろ酔いになる1週間ほど前、NYの美大時代の悪友アメリカ人、ジョナサンからもメールが来ていた。

やつとは、10年前にバンコクで起業しようと意気込んで、オフィスを探し歩いた仲だ。こいつは私同様に頭がおかしい男で、そのせいか付き合いが長い。いまは、サンフランシスコのフロッグデザインという会社で偉い人をやっている。知る人ぞ知る、初期のMacをデザインしていた事務所である。

届いたのは、また一緒にアジアで無茶な旅行をしてえなぁと、そんな文面だった。飛行機代を払ってやるからベガスにいかないか?とか、いかにもやつらしいイカレたオファーで、メールは締めくくられている。

安易にイイネぇ!などと書くと、ほんとに行くことになりかねないので、「おれはついに節約というものに目覚めた。金貯めてるから、いかねー」と、大人な返信をしてやった。

そろそろ家族を持つことを考え始めていて、都内に安いマンションでも買おうとしているのは本当。でもよく考えると、別に東京の都心にこだわる理由もなければ、日本にこだわる理由も無い。東京都内じゃ、いくら金を積んでも小さな箱しか買えない。同じ金額で青梅の山奥に一軒家でも買おうかと思っていたのだが、マレーシアは物価が日本の1/3だという。

そんなことを考えていたら、昨夜のこと。

とどめを刺すように、NY時代の別の悪友・ダリアから、facebookでメッセージが来た。

元イラク人のクレイジーな男で、マンハッタンを飲み歩いた仲だ。やつの一家はホメイニ氏の革命で国を追われる前は、現地で超のつく金持だったらしく、そのせいで太いネジが数本抜けている。

そのダリアから脈絡も無く、いとこを紹介したいという話が来た。女を紹介してやるという話かと一瞬思って、よく読むと、親戚のおっさんのビジネスのサイト3つを、制作&メンテしてくれるウェブ屋を探してるというのだ。何屋なのか、どこの国のビジネスなのかは書いていない。

なんで私に頼むのか皆目見当も付かないが、日本人デザイナーはブランド力があるので、世界でも一目置かれているので、英語ができるだけで、各国のへんなつながりから仕事が来る。

もうこうなってくると、国という枠にこだわっていてもしょうがないという気分になってくる。ここまでに登場した友人達も、元中国人だったり、元イラン人だったり、住む国はおろか国籍もぐちゃぐちゃである。

最近は、別に東京にいる必然性のあるプロジェクトはほとんど無い。一度も会ったことの無いイギリスのプログラマーと、ネットでやりとりしながら進めているウェブ仕事や、前にインドに外注したiPhoneアプリ制作のケースもある。マレーシアなら、インドに打ち合わせにいける距離だなぁと思ってみたり。

日本国内のプロジェクトでも、打ち合わせはごくたまーにしかなくて、ネットと電話と宅急便で仕事をしているので、突然マレーシアに引っ越したとしても、今のお客さん達は、困るということもなかろ。

マレーシアは、アジアの民族の交差点のようなところで、日本人でも居心地はよさげだし、みな英語を話すという。仕事的にも問題無し。LCCの「Air Asia」が、マレーシアのクアラ・ルンプールを拠点にしているので、東京も含め、アジアはどこに飛ぶにも激安だ。

こういう妄想を始めると、ガールフレンドとか嫁が切れそうになるものだが、実は私の相方も、ハワイに住んでいたことがあったり、シンガポールに引っ越そうかと計画していたこともある。私と同様にワクワクしている様子。

来週あたり、小脇に仕事を抱えて、クアラ・ルンプールに飛びます。

日本のスタバではまだ流行っていない、ある飲み物

ニューヨークのスターバックスでレジに並び、自分の番を待っていると、よく聞こえてくる名詞があります。

それは、「ディ・カフェ」。カフェイン抜きのコーヒーです。

わが国では、カフェインは眠気さましの特効薬という救いの神的存在ですが、コーヒーを水がわりにガブガブ飲むアメリカでは、コーヒー中毒(=カフェイン依存)の人が多く、体に悪いものという印象が濃いのです。健康オタクが集まるニューヨークのような大都会だと特にそう。

最近、化学部質が頭脳におよぼす影響を、アメリカの医者が書いた本数冊で勉強したのですが、どの本も、カフェインと白い砂糖、そしてアルコールは、脳のパフォーマンスが落ちてやる気がなくなり、鬱状態に加担する物質の筆頭にあげられています。

ご存じのように、カフェインには血糖値を急に上げる効果がありまして、瞬間的に元気になって興奮状態になる。目が覚めたように感じるのはそのせいです。

ところが、副作用もある。血糖値があがりすぎたと検知したあなたの体は、インシュリンをどーんと大放出。血糖値が一気に下がってしまい、平常レベルを通り越して低血糖状態に転げ落ち、元気を奪います。

カフェインや麻薬のような興奮剤は、その化学反応の過程で、精神の安定に必要な化学物質を大量に消費してしまうという側面もあるそうです。精神的に不安定な人には、血糖値の乱高下とあわさって、かなり危険な存在。

すっかり健康オタク化している私は、普通のコーヒーとアルコール、精製された白い砂糖は少なめにするようになりました。この3つをやると、体と頭が動かなくなって、仕事が進まないため。

ちょっとネットで調べてみると、かのGIGAZINEもスタバのディカフェを取材していました。その記事によれば、ネスカフェも「ゴールドブレンド カフェインレス」というインスタントを売っているらしい。

コカコーラも、やっと数年前に日本で、カフェイン抜き・砂糖抜きの「コカコーラ・ゼロ・フリー」を売り始めましたね。あまり売れて無さそうですが。

さて、日本のスタバでは、ドリップコーヒーとしてだけですが、「ディ・カフェ」をオーダーできます。

あなたの前に誰もオーダーしていないときは、新しく作ってくれるので10分くらいお待ちいただくことになりますが、ディカフェは時間がかかるので、店員さんがテーブルまで持ってきてくれます。

誰もオーダーしない裏メニューのような存在。自分だけのためにいれてもらった1杯のコーヒーを、フルサービスで飲む。ちょっとスペシャルな気分を味わえる逸品です。

タダで楽しんじゃう新宿御苑の木漏れ日。最近の朝の日課

私の住んでいる四谷三丁目駅のへんは、JR新宿駅まで歩いても25分くらい。

東京版セントラルパークとも言うべき、大都会の真ん中に木々大盛りの「新宿御苑」がそばにあります。その北の隅に、意外と知られていない小川が流れる緑道を見つけました。

御苑の本体は入場料が必要ですが、ここは昼間だけ解放されています。正式には「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」というそうです。こんなところに玉川上水につながる水道があったとは。全長540m、のんんびり歩いて10分くらいの道のりです。

最近は、この道の木漏れ日を抜けて新宿に向かい、昼過ぎまでカフェで缶詰仕事。

秋になって日照量が減ると精神が異常をきたす、というアメリカの学者の調査報告を読んでビビってからというもの、朝の散歩をかねて少し遠い場所にあるカフェに向かうようにしていまして。セロトニンが減っちゃうのだそうです。

目的などない、ふつーの散歩をすすめる文化人は多いのですが、やってみるとたしかに頭が冴えます。太陽を浴びる以外に、軽い運動で脳に血がめぐるようでして。仕事がはかどります。

お勤めの仕事人のみなさんは、通勤という形で、これを自然に毎朝やってるわけですよね。ふうむ、よくできた仕組みですね。

自営のプロ達には、仕事場を自宅の中に持つか?別にしたほうがいいか?という議論が昔からあるのですが、私のここ15年の経験からすると、自宅と仕事場が一緒というのは、かなり工夫しないと、いろんな意味で厳しそう。

今朝は、保育園児の大群と遭遇。みんな大興奮で、道に散らばる銀杏やドングリを拾っておりました。

 

AppleのカスタムオーダーMacを少しでも安く買う方法

最近のMacは、メモリーやディスクを勝手に取り替えられないデザインのものが増えてきました。でも、標準仕様以外の、ハードディスクやメモリーを増設したMac(CTOモデル)が欲しいとなると、Appleからの産直販売を利用するしかありません。

当然のことながら、高くつきます。定価ですので。

少しでも割引がつくのは、小売り店の店頭で販売されている定番モデルのみです。

Appleのパソコンは、昔から小売り店での割引率が低く、公正取引委員会が調べているとかいないとかいうニュースがあったこともあります。ヨドバシカメラやBicカメラでも、現金購入でポイントは5%だけしかつかず、他の商品の10%還元に比べるとお得感に欠けると言わざるをえません。

ところが、業務用となると、他の選択肢あり。

Mac専門店の老舗「秋葉館」が、業務用途のユーザー向けに、カスタム仕様のMacの販売を始めています。

試しに、MacMiniの特別仕様版の見積りをお願いしたところ、およそ「5%」の割引価格となっていました。少しでも安く購入したいプロには助かります。

購入条件は、現金での先払いが可能であることと、法人または個人事業主であるということ、そして納期が最大で2週間かかります。事業目的でないと購入できないのは、おそらく、Appleとの契約のせいでしょう。正規の販売業者を少数に絞っているようですので。

個人事業主である証明を求められる雰囲気ではないので、個人の方も、阿部インターナショナルなりなんなり、それっぽい屋号をテキトーにきめておけば注文可能なのではないかという雰囲気です。

秋葉館は、昔は新品の標準モデルも割安で店頭販売していたのですが、いまは業務用の見積もり販売のみになりました。値引きをするのがAppleのお怒りを買ったものと想像。ここは中古の買い取りもやっていて、私は新しいモデルを買う度に、ここで古いMacを売り飛ばしています。Mac専門店だからか、中古に強いSofmapよりも買い取り価格が高く、Macは大きく値崩れしないので、比較的新しいものならば、そこそこの値段がつきます。

アマゾンジャパンの「Kindleストア」で、この国の本は激的に安くなる

いまにも出るぞ!出るぞ!と言われ続け、いつまでたっても始まらなかった、Amazonジャパンの電子書籍販売サービス「Kindleストア」が、本日 2012年10月25日、ついにスタートしました。

さっそく、覗きに行ってみたら、電子版書籍の値段を見てビックリ。

うぉっ、どれも紙版より安いじゃないの!!

日本のKindleストアの価格設定を見ると、例えば、紙版が定価714円の漫画「テルマエロマエ 第1巻」がKindle版だと215円(70オフ!)。最近ベストセラーになっているビジネス書「ワークシフト」は、定価2,100円が1,500円と30%オフになっています。

アメリカの書店だとベストセラーコーナーに並ぶ本は、だいたい数割引で売っています。日本で新刊本が値引きされるというのは、わたしにはやっと同じようになったかという気分です。

日本の新刊書籍や雑誌は、独禁法で「値引きが禁止」されてきました。この国では、大手出版社がアクセルとブレーキを同時に踏み続けたせいで、電子書籍がぜんぜん普及していないですから、事実上、日本のすべて新刊本は、定価で売られるもの、というのが相場です。

昨日までは。

消費者として激しく頭にくるそういう状況も、おしまいとなる可能性がでかいと思われます。

法律により製造者が決めた「定価」で売らなければならない商品という、消費者としては意味不明ものが、今も存在します。日本の公正取引委員会が名指ししている商品たちで、新品の書籍、雑誌、新聞、音楽ソフトなどの著作物商品がこれにあたる。なぜかDVDなどは入っていません。1997年までは化粧品や医薬品も含まれていました。本は、最後までしぶとく残っている指定商品の一つということになります。

そうすると、電子書籍も「定価で売らなければならない」という制限にひっかかりそうなものですが、調べてみると、制限のあるのは「物」の商品に限るのだそうです。

つまり、電子書籍は、アマゾンのような小売り業者が、好きなように値段を付けられるというわけ。今後、なしくずし的に、紙の本は定価でないと売れないという制限も崩れていくかもしれません。そりゃ人間、機能がほとんど同じなら安い方を買いますからね。

そんなうちの一人であるわたしは、ここ数年、アメリカのアマゾンからKindle電子版の洋書をたくさん買ってきました。

いつでもどこへでも持ち歩ける便利さや、欲しいときに瞬時に手に入ることじゃありません。そんな程度のことでは、私の買う和書・洋書トータルのうち、3/4までもがKindle版になったりはしません。

決定的だったのは、「明らかに安い」ということ。

注目していただきたいのは、「安い」ではなく「明らかに安い」という点です。紙版とKindle版のどちらを買おうか迷う余地がないほど安いものが多い。やはり本は紙で読みたいというような理屈は、値段が同じならという前提があるわけで、値段が半額となると信念もグラグラになる。

米AmazonのKindle本は、一部の売れ筋の本だと、紙版と比べて半額で売っているものすらある。多くの本も、少なくとも数百円程度は安い。くわえて、米アマゾンから買うと、日本までの数千円の送料もかかってしまいます。

いまでは、読みたい洋書があると、なにはともあれ、まずはKindle版があるかどうかをチェックのが習慣になりました。

金の沙汰と、そしてポルノは、人の波が流れる方向を変える巨大なモチベーションになる。新しいテクノロジーが普及する大きな要素です。

最近では、東京の本屋に立ち寄って本を手に取ったときも、原著が英語の場合は、ポケットからiPhoneをひっぱりだし、アメリカのKindle版だといくらかをチェックしてから、安い方をその場で購入するようにしています。紙の本ならそのままレジへ、Kindle版ならその場でiPhoneから購入手続きするか、試し読みサンプルをダウンロードします。

この経費削減ワザは、日本語と英語がどっちもサクサク読める人にしか使えなかったテクニックでしたが、それも、今日から少しづつ変わっていくでしょう。日本の本もKindleの方が安いとなると、和書にも通用するようになる。

日本のKindleストアは、和書5万冊からスタートだそうですが、売れるとなれば多くの出版社がKindle版を投入するでしょう。ぜひとも、そうなって欲しいところです。

 

仕事場兼自宅の模様替えに思う、人間の飽きっぽさ。

完璧な家のデザインや、家具のレイアウトなどというのは、無いと思っている。

なぜかというと、どんなに苦労して究極を突き詰めたところで、時間とともに飽きてしまうから。

自分の机や食卓から見える景色は、たまに変えた方が良い。文字通り行動パターンも変わる。

職業柄、次から次へと違うプロジェクトをやるので、飽きっぽい性格だと言ってしまえば、たしかにそうかも・・・と納得できないこともないけれども、飽きっぽいのは人間の本質です。

飽きっぽくない人は、新しいやり方でやってみようという「進化」という名の実験に手を出さないし、牛のように足元の資源を食いつぶしてしまう。