教科書に載る日が来ようとは、夢にも思いませんでした。
刷り上がった教科書を手に持ち、私の名前の後に「東京都・1975 〜」と記されていたのを見たときには、巨匠の仲間入りでもしたような気分になりました。
教科書というのは、この世を去った偉人が載るものだと思っていましたが、私はまだピンピンしているどころか、載っている中で一番若い作家のようです。この作品をデザインしたのは2010年ですから当時35歳でした。
ある日のこと出版社から突然メールが届きまして、その2年半後に全国の中学校の美術のクラスで、この教科書が使われ始めました。
教科書に載る舞台裏は、めったに見られるものでもありませんし、自身で経験する人も少ないと思います。この文章を書いている今でも、不思議な気分なのですが、みなさんも、ご自分が教科書に載ったような気分でお読みください。
時代とともに変わった教科書の中身
載せて頂いたのは、日本の中学生が使う美術の教科書です。「私の気持ちをカードに込めて 〜 開いて嬉しい紙のデザイン」というテーマの見開きページに載せて頂きました(上写真)。小中高の教科書をつくる大手の専門出版社「日本文教出版」刊。
私が子供の頃の美術教科書は、有名な巨匠の作品を鑑賞する画集のようなものでした。ペラペラとめくって見ていると、美術館に来たような気分になったものです。
最新の教科書はというと、ずいぶん様変わりしていまして、雑貨のデザインの話や、自分で作ってみよう!というような身近な話題のページがとても多い。私は巨匠ではございませんので、こういう内容の変化のおかげで、作ったものが載ることになったようです。
教科書という特殊な書物のため、商品名「はなてがみ」は使えないとのことで、編集の方がつけて下さった一般名詞の「花入り封筒」という名前になっています。
恐れ多くも、お隣に大きく載っているのはアメリカのポップアップ絵本の巨匠、ロバート・サブダ氏のバースデーカード。
編集者の方に作品の説明をお送りするとき、中学生でもわかるように書きなおして頂くつもりで、「コンセプト」や「モチーフ」といったデザイン用語を混ぜて書きました。ところが、ゲラを見たら、そのまま載っていて驚きました。こういった言葉も学ばせる意図なのか、それとも作家の言葉を尊重して下さったのか、どちらでしょうか。両方かもしれません。
「はなてがみ」ができるまで
掲載された作品「はなてがみ」について少し書いておかないと、なんでこんなものが教科書に載るのか?と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。
これは封筒単品として売っていたわけではなく、当時私が手伝っていたネット花店のギフト注文サービスのためのパッケージとして作ったものでした。
一輪の花を普通の手紙と同じように郵便で送り、ポストに花が届くというサービスです。ネット花店「はなささら」で注文すると、メッセージカードと一緒に、郵便で生きている本物の花が届くサービスを、ゼロからつくりましたので、パッケージデザインというよりは商品開発のプロジェクトでした。
実は、最初から売り物にしようと思っていたわけではなく、高価な花束の方を売るために、呼び水として「無料で配れる」花の商品をつくれないかと知恵を絞ったデザインでした。
立ち上げたばかりのビジネスというのは、商品の完成度よりも、知名度の方が大きな壁になります。いくら良いものを作っても、最初は誰も知らないので、買って頂けないのが現実です。無料で花ギフトを送れるとなれば、長い行列ができるに違いない、という前提に基づくアイデアでした。
当時、NHK出版のクリス・アンダーソン著「フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略」がベストセラーになっていまして、読んだ直後にこの企画を思いつきました。正確には風呂の中で読んでいる途中に閃きまして、あわててバスタオルを腰に巻き付け、濡れた足でスケッチブックを探しに出ました。
いまでは当たり前になった「フリーミアム」と呼ばれている新しいビジネスモデルは、無料の商品やサービスで集客して、有料の商品を買ってもらうというもの。EvernoteやDropboxが大量のユーザーを獲得して、成功した例として有名ですね。格安エアラインもチケット自体は激安で売り、預け荷物や席指定でお金を儲けるという似たビジネスモデルです。
製造にかかるコストが限りなくゼロに近いデジタルサービスとは違い、花を送るとなりますと、どうしてもお金がかかります。店頭での無料配布なら余った古い花でもタダで配れば良かったのですが、通販ですと、花が枯れないように安全に送るには宅急便を使うことになります。すると最低でも500円程度の送料が必要に。しかも距離に応じて高くなるのが宅急便。
無料で配るには負担が多きすぎる金額です。
そこで出した頭のおかしい案が、じゃあ手紙と同じ普通郵便で送ってはどうか?という狂ったものでした。そのとき酒でも飲んでいた可能性もありますが、あらゆる発送方法を調べ上げた中から眼をつけたのが郵便でした。全国均一料金で80〜100円ですから、コスト的にはギリギリ無料配布できる可能性がある金額です。
そこからパッケージの試作がスタートしました。送料が安い定形外郵便の上限サイズ(長さ34cm✕幅25cm✕厚み3cm)に収まり、しかも花が痛まないパッケージという、極めて難易度の高い条件でした。定規を片手に、当時住んでいた中野の住宅地を歩いてまわり、郵便受けのサイズや、郵便がどうやってねじ込まれているのかを調べました。上は最初のデザインで、全面にプリントしてありました。
最終的に、教科書に載ったバージョンになるまで、無数の試作と失敗、2回のデザインリニューアルをしています。上が教科書に載った最終デザイン。
花は、蕾の方が大きくて茎は細いので、上が大きくて下が小さい形のパッケージになりました。これは結果的に花束と同じ形ですね。
真ん中を貫くグリーンの線と、小さなスリットから覗くメッセージカードの色が、中の花をイメージさせるデザインになっています。受け取った方は、まさか花が郵便で届くとは思っていませんが、見たときに中に入っているものがなんとなくイメージできることを狙いました。このデザインはかっこよさを狙っただけではなく、当時はインクジェットプリンタでパッケージを作っていたので、高いインク代を少しでも節約するという実用的な理由もありました。材料や組み立てるための人件費も、デザインの重要な要素です。
箱から飛び出ている洋服のタグのようなものは、注文時にお客様が書いたメッセージカードと宛名ラベル、そして花の色がプリントされた3つ折りのカードで、本体から抜いて読むことができるようになっています。切り花を輸送するときに使う小さなプラスチックの容器に、栄養剤を混ぜた1〜2日分の水を入れて発送しました。
さて、作ってみたら意外とよくできてしまったもので、無料ではなくて、看板商品にしようということになりまして、とは言え、気軽にネット注文して頂けるように、送料・税込み780円で販売しました。
花を郵送するということも無茶ですが、この価格設定も冒険でした。この値段ではほとんど利益は出ませんでしたが、予想通り沢山の方に使って頂けて、花店は知る人ぞ知る存在になりました。(今は別のデザイナーによる、高いバージョンのみ販売されています)
「花束」は本数や豪華さで想いの大きさを伝えるという物量で感動させる商品ですが、「花一輪」が突然ポストに届くというシンプルな贈り物は、映画のワンシーンのような驚きと感動があったようで、全国から「受け取って泣いてしまった」というお礼のメールがたくさん寄せられました。
物余りの時代ということも、このデザインの背景にあります。皆さん、すでに物欲は満たされていますので、ただ高価なものを大量にもらっても、さほど嬉しくはない。大きな花束では貰ったあとの処理も大変で、むしろ邪魔になるのではないかという仮定もありました。安っぽい花束よりむしろ一輪の方が感動的なのではないか、一輪の方が気持ちがシンボル化された形になって見えるようになるのではないかという発想でした。
こういった様々な意図が、「私の気持ちをカードに込めて」という掲載ページのテーマに共感されたのではないかと思っています。
突然届いた出版社からのメール
東京の四ツ谷を拠点にしていた2013年12月のこと。連絡を取り合わなくなって久しかった花屋の主から突然メールが届きました。いったい何事かと驚いたのですが、さらに意外だったのはその内容でした。
「はなてがみを教科書に載せたいという連絡が来ているので、ついてはデザイナーである阿部さんの許可が欲しい」というものでした。
なんですと?キョウカショ??
この商品には、メジャーなマスコミからの取材依頼はよく来ていたので慣れっこでしたが、さすがに、教科書はぶったまげました。
転送してもらったメールを読むと、問い合わせ内容はすでに具体的で、作品やデザイナーに関する情報に加えて、紙媒体用に高解像度の写真データが必要で、もしも無ければ現物を撮影したいというものでした。
許可もなにも、これは人生で一位二位を争う、大事件。
すぐに編集の方と直にメールをやりとりしました。(いま思い返しますと、この編集の方とは、最後までお会いしたことも電話で打ち合わせをしたこともありません。天下の教科書と言えども、そうやって作られる時代ですね)
掲載されるのは、平成28年春に刊行され、中学校で4年間配布される美術の教科書です。ただし「まだ掲載が確定したわけではない」という注意書きがありました。はじめて連絡をとる、有名人では無い取材対象だと、編集者の想像と違う可能性があるので、こういった但し書きは珍しくありません。いざということに相手を怒らせずに断れるように書くことも多いわけですが、文字通りの意味で、選考段階という可能性もある。
なにせ政府が認定して、税金で配布される教科書です。
数々のプレゼンをしてきたプロのデザイナーであり、雑誌に書いたり編集仕事もやってきた自分としては、メラメラと闘志が燃えました。つまり、提供される素材も見ながら、最終的に偉い人の編集会議かなにかで決まるというわけです(想像)。
情熱大陸やプロフェッショナルのようなドキュメンタリー番組でも、出演を打診された時点では、取材するかは確定はしていないことが多いと聞きました。著名人では無い相手の場合には特に。ですので、取材される側からの積極的なアピールや出たいという情熱、そして資料提供があってはじめて出演が決まります。
他のマスメディアに載せてもらうのと同じようにアピールすれば良いわけですが、教科書となるとさらにシビアかもしれないなと思い、慎重に資料を用意しました。
プレゼン的に出版社へ素材提供
写真素材は、メディア向けプレスキットとして使っていた高解像度データ15点(上写真)と、使えそうなアザーカットを低解像度で552点(下写真はその一部)をネットでお送りし、その中から編集方針に合う、わかりやすい写真を選んで頂くことにしました。
お客様に買って頂くにはどういう写真やデザインにすれば説得力がでるか、それを考えるのが、デザイナーのお仕事です。ところが相手が中学生で、教室という場所で使われ、しかも政府と美術教師にも認められる必要があるとなると、ある程度は想像できるにせよ、何が求められているかは確信が持てません。
そんなときは、持ってるものをすべて渡してしまうのがベストです。こちらの感覚でフィルターをかけてしまうより、全部見て頂いた方がヒット率が高いだろうと考えました。相手が編集者であれば、大量の写真から選ぶことには慣れているでしょうし。
低予算プロジェクトだと自分で写真も撮ってしまいます。その場合は、つくったデザイナー本人が撮るので、商品の良さが伝わるようにスムースに撮れます。いまはカメラも照明機材も安くて性能が良いので、小物ならば難しくはありません。
商業用途の写真としては、他にも見栄えがするものがありましたが、送って欲しいと頼まれたのは、この記事の冒頭に載せた紙面の2つの写真を含む数点でした。
教科書に載っている他の作品では、掲載写真1枚がほとんどでしたが、パッと見には用途がわかりにくいシンプルなデザインなので、全体像と手に取っている写真の2点が必要だったのではないかと思います。
マスコミ用のプレスリリースは用意してあったので、一緒にお送りしたのですが、教科書を想定した内容では無かったので、別に長い解説文も用意しました。特に頼まれてはいませんでしたし、載るスペースは少ないだろうとは思いましたが、教師用の指導書で使う可能性も考えて、作品解説やデザインの意図は、かなり長く書きました。まだ載るかどうかは確定していないと釘を刺されていたので、編集委員のみなさんにもきちんと作品の意図や実績を理解して頂くためです。
こういった状況では、編集者の手間ができるだけ少なくなるように、先の先を読んでこちらから積極的に素材を提供するのが、出版社やメディアと相思相愛のお付き会いをするときの基本です。編集者の方は、さらに上の編集長やプロデューサーに取材価値があることを説得しないといけないので、プレゼンをしやすいようにサポートして差し上げる必要があるわけです。
お声がかかったきっかけは?
実は、雑誌やマスメディアというのは、載せてもらうのはさほど難しくありません。
きちんと編集部の欲しいものを想像して、狙えば、ある程度の確率で載せてもらえます。向こうも商売ですから、読者が喜ぶネタを常に探していますので。
ところが、それが教科書となると狙ってどうこうなるものでもない。
教科書に載りたいと常日頃思っている人などいるわけもないですが、いたとしても、かなりの難題となるでしょう。一軒の小さな花屋を繁盛させるためだけに必死で作った商品でしたから、教科書などという恐れ多いものは妄想すらしなかったことは言うまでもなく。
私はライターや編集者としても仕事をしたことがあるので、メディアをつくる側の発想を理解しています。ですので「はなてがみ」は、かなり打算的にメディアに取り上げられやすいデザインや社会性を初期の企画段階から盛り込んだので、想定通り、多くの雑誌やネットで話題になりました。業界新聞や地方のフリーペーパーから始まり、AneCan、ゼクシー、OZマガジンなどメジャー誌に掲載多数。
多額の広告費を使えない弱小花店ですので、かわりに商品そのものにお金と時間をかけて、記事にして頂きやすい商品をつくりまして、その結果、逆にたくさんの方の目に触れました。
雑誌「日経デザイン」の記事(上写真)は、教科書掲載のきっかけになった可能性が高いもののひとつです。この号は「紙でビジネスを革新する」特集で、その中のメッセージを伝えるデザインのページに登場しました。そう、あの教科書のそれと似たテーマですね。
最初に教科書の出版社から打診があったとき、「日経デザインに載っていたような写真」を送って欲しいと書かれていました。ただ、同誌ではじめて見つけたのか、それとも、はなてがみが載った媒体をすべてチェックした後に、写真が良かったのでリクエストが来ただけの可能もあります。
仮にこの記事がきっかけだとしますと、デザイナー御用達の高級紙商社「竹尾」の竹尾有一さんが仲人役ということに。はなてがみに竹尾の紙を使っているのがご縁で、ツイッターで知り合った愉快なおっさんです。ある日、「日経デザインの編集者と紙特集の打ち合わせをするので、サンプルを送って頂けませんか?」と連絡を頂き、お送りしたところ、あっさり載せて頂けることに。
有名マスメディアに載る方法の王道のひとつは「わらしべ長者式」です。
無名のビジネスが、いきなり巨大メディア掲載を目指してもダメなんですね。後述しますが、まだ誰も紹介していないネタは非常に危険なので、大きなマスコミではなかなか採用しません。何万人、何百万人という読者・視聴者がいますと、過去に誰も取り上げていないものは怖くて紹介できませんので。
しかしながら、手垢がついた古い情報では売りものにならないので、大メディアは業界新聞や専門誌を情報源のひとつにしているんですね。はなてがみの場合も、最初は地方のフリーペーパーや超マニアックな業界系新聞に取り上げられ、時間をかけて次第に大きな雑誌から取材が来るようになりました。
そして最終的に教科書掲載にたどり着きます。
人から人へ広まっていったギフトサービスだったので、毎日かなりの本数を発送しました。受け取った方の中のお一人から、教科書の製作チームに贈られたのかなとも想像しています。もしかすると、それが編集者の方ご本人だったかもしれませんし、監修に名を連ねる大学教授のおひとりという可能性もあります。
どうやって掲載作品として選ばれたのかは、聞きそびれました。当時は載せて頂けるかどうかの方が気がかりで、そこまで気が回りませんでした。担当編集者の方も現物が出版される前に辞めてしまったので、きっかけは、謎に包まれたままです。
教科書掲載のギャラは?
一般的に「商品」をマスメディアに載せてもらうときは、出版社側と、載せてもらう側の両方にメリットがあるので、掲載料が出ることはまれです。
教科書となりますと、無料どころかこちらがお金を「払って」でも載せていただきたいようなものです。ところが、掲載が決まった旨のご連絡を頂いたときに、そこに「掲載料の振込先をお知らせ下さい」と書かれていました。
金額は、諭吉先生がお一人様。
高くもなく安くも無い金額ですが、このお金は報酬というよりも、権利関係を白黒させるために、金銭の授受を発生させているのだろうと想像しています。
難しい話になりますが、無償で仕事をしたり何かを差し上げると、それに対する報酬である「対価」が発生していないので、法律上の「契約」がきちんと成立しません。
特に今回の作品のように、もう販売されていないデザインで、いまは花店に全く関わっていない私の側のメリットが、客観的にはっきりしません。例えば私が天狗デザイナーで、偉そうに「すでに十分有名なので、昔の作品など載せてもらっても何も得をしない」と言う可能性もある。そうすると、一方的に出版社だけメリットがある関係になってしまうわけです。
教科書は商業性のある本ではないので、載っても箔がつくだけで直接は儲かりません。でも、報酬としてお金を受け取った証拠があれば、写真や名前を使用する権利を出版社が買ったという形にすることができます。
100万部単位の発行部数があり、社会的インパクトも大きいものですから、トラブルを避ける対策は必ずしていると想像できますね。まさか回収するというわけにもいかない規模ですから。
「いえいえ、載せて頂けるだけで、名誉なことですので、無償で結構です」とカッコつけることも一瞬考えましたが、この1万円はありがたく頂戴することにしました。口座番号をお知らせしたところ、あっという間に振り込まれてきました。
受け取った時点で掲載はほぼ間違いなくなりました。
2年半の歳月を経て、全国の中学生の手に
最初に打診があったのは2013年の終わりなので、出版されるまでに、ずいぶん年月がかかりました。教科書というのはかなり慎重に作られるもののようです。
掲載が確定して、紙面のPDF校正が届いたのが2014年4月でした。
ちょうどその頃に婚約をしまして、両家の顔合わせ会で、自慢げにスマホで見せたのを覚えています。どうも私はいろんな仕事をしているので、妻の両親には職業不詳だったようでして、少しは感心して貰えたようです。「教科書に載った」というのは、誰にでもわかりやすいですからね。その会のあとに「おかげさまで親が喜んでいました!」と、編集の方にお礼のメールをしたところ、文科省のシビアな検定中なので掲載内容については口外しないで下さい、というご注意を頂戴いたしました。はしゃいですみません。以降、出版されるまでは、SNSなどにも書かず、おとなしくしていることにしました。
さて、掲載内容が確定してからは、長い文部科学省の検定プロセスに入りまして、2015年の春に正式に検定通過。わたしは静粛にしている以外にやることはないわけですが、沢山の有識者のチェックが入ったものと想像します。政府が発行する出版物で、しかも子供の教育に使われるお手本の書ですから。
・・・と書いていて、いまになって、事の重大さを再認識します。
さらにその次の1年間で、全国の中学校に新しい教科書の見本が送られ、注文が出されます。美術の教科書は2つの出版社から出ていて、独占状態を防いでいるようです。もう一社の内容は見ていませんが、先生達に選んでもらわないといけないので、きっと何か特徴がある内容なのでしょう。
最初に連絡を頂いてから2年半後の2016年、新学年が始まる春に、この教科書は出版され、ある日突然、私の手元にも見本が到着しました。
正確に言いますと、まず私の実家に届き、転送してもらいました。出版される頃には日本には住んでいない予定だったので、実家に手配してありました。私より先に実物を見た両親は、自分の子が教科書に載ったというのは、どんな気分だったのでしょうか。
事前に出版社から希望する見本部数を聞かれたのですが、日本拠点をたたむ準備で大量の本を処分している真っ最中でしたから、私と妻の両家用に1冊ずつ、自分用に1冊あれば十分かと思い、3冊だけ見本をお願いしました。
ところが現物を受け取ってから、自分の人生の大事件としては、いくらなんでも少なすぎたと後悔しまして、ネットで教科書屋さんから10冊注文したら1冊が322円。ずいぶんお安いのですね。教科書は非課税なので消費税もかかりません。このことからも、特殊な本に載ったのだという実感がフツフツと湧きました。
今ごろは、全国の中学生が授業で使っているはずですが、自分のつくったものが美術の授業で題材にされているシーンを想像すると、こそばゆいような、不思議なような謎の感覚です。
美術の教科書は、私自身は頻繁に授業で使った記憶はありませんが、たまにペラペラめくって眺めた記憶はありますので、この変わったものは何かなぁ〜くらいには、見てもらえることを期待します。
2016年時点で全国の中学生は335万人いるようですので、1学年100万人いることになります。美術の教科書は2つの出版社が出したものから学校で選ぶので、そのうち半分がこの教科書を手に取るとして50万人。それが4年分なので、200万人です。
美術教科書の改定は4年に1回だそうです。そのタイミングにうまく乗れた運もありましたね。
気分は、ちょっとしたベストセラー作家。
教科書向きだった理由
教科書に載るためには、様々な条件をクリアする必要があることは、皆さんも想像できるかと思います。
はなてがみには、デザイン自体の良さはあったと思っていますが、教科書という公の特殊メディアに載るには、グッドデザインなだけでは到底十分ではありません。ハードルは一段高い。
なぜ載せて頂けたのかを考えますと、次のようなことがあると思います。デザインをつくったり、メディアに取り上げられるために「相手の立場に立つ」という大切な思考術として、参考になるのではないかと思いますので、書いておきましょう。
商売気が非常に薄くて、アートぽい
選ばれた大きな理由のひとつは、商売っ気が感じられないことだと思います。実際のところ、ほとんど利益が出ない道楽商品でした。
大きな声では言えませんが、当時わたしが同棲していたお姉さん=花屋の主だったので、つまり身内のための奉仕活動だったわけです。ですので、採算度外視でかなりの時間を費やしました。言うなれば愛のデザイン。
花店が本格的に軌道に乗る前に、私はお手伝いから離れてしまったのですが(お察し下さいませ)、教科書に載ったことは、お金では換算できないものすごい報酬になりました。
デザイナーという仕事人は、誰かと組んで機会を与えられない限りは、単独ですばらしい作品を残すことはできません。ビジネスを盛り上げる「お手伝い」の専門家なので、脇役ですから、ビジネスの主役がいないと腕をふるえません。そういう意味で、私とタッグを組んで、変わった花店「はなささら」を一緒に立ち上げたフローリストの東英美さんにはお礼を申し上げたいと思います。もともとは彼女が「花束でなくても、一輪でも花は人を感動させられる」と口にしたことがきっかけで、つくりはじめた作品でしたので。
これが大企業の商品だったら、いくらデザインが良くても載らなかったかと。教科書という公器を使って商品の宣伝をすることになってしまいますので。NHKの番組で会社名を出せないのと同じ理由です。商品名では載らなかったことにも、そういった背景があります。公立の学校で使われるものなので、誰でも知っている会社の有名な商品だと明らかなものが、教科書に載るのはまずいわけです。
これを作ったのが、大きな会社(=どう見ても営利目的)ではなく、まだ無名で個人営業の小さな花屋と、変わった経歴のデザイナーだったので、作家性やアート性が感じられて載せやすかったのではないかと思います。
それから、値段というのはデザインの重大な要素なのですが、グッドデザイン賞に応募すると同時にデザインをリニューアルし、送料・税込みで780円という値下げした値段をつけました。受かりたい一心で、思い切ってさらに安い値段にしたわけですが、そのときに欲を出して高い値段をつけていたら、お金儲け色がですぎたり、買う人が少なすぎて、教科書に載るには至らなかったかもしれません。商売っ気は、デザインからも臭ってしまうものなのです。
デザインに限らず、商売気が無いモノや人は、無条件で信頼されます。
中学生にもつくれそうな見た目
凝った複雑な造形美ではなく、中学生が自分で作れそうなシンプルなデザインだったのも良かったのではないかと。
パッと見に「自分でも作れそう!」と感じるられることは、お手本としては大切なことですね。紙・両面テープ・インクジェットプリントだけでできている作品なので、似たようなものは簡単に作れるでしょう。
ただし、見た目はシンプルですが、無数の失敗と改良を繰り返して、緻密な設計をしたデザインだったことは、この場で自慢しておきます。このデザインになるまで、何度も大幅なデザイン変更をしました。すべての素材は業務用のものから吟味しましたし、プロ向けのプリンターで水気にも強い高価なインクを使っています。
現代アートを見て「こんなの自分にもつくれるよ」というセリフを、思わず口にしてしまうことはあるかと思いますが、実はシンプルに見えるものほど、つくるのは難しく時間がかかっています。一歩間違うと、手抜きに見えてしまって、買ってもらえないからです。手間がかかっているように見せるために、ごちゃごちゃした装飾をつけたりするは安物のデザインです。
教科書の中身が大きく変わった
載った教科書をみると、おなじみの巨匠のアートを紹介するだけでなく、身近な日用品のデザインの話や、実際に自分で作ってみようというページも多く、これは最近の教育の流れなのでしょう。私が中学生の頃のような教科書だったら、お声はかからなかったと思います。
昔の美術教科書は、すでに死んでいる作者の作品が大多数で、没年の書かれた墓場チックな書物でしたが、最新の教科書は私を含め、まだピンピンしているプロが多数登場しています。時代とともに、価値観や社会も変わりますので、子供の教育に使う教科書も当然変わるということですね。
マスメディアに取り上げられるには、こちらから売り込んで紹介されるときもありますし、タイミングよく記事の企画にあっている商品だったので声がかかり載るときもあります。後者の場合はある程度の運と時間が必要です。相手があることですので。
今回の掲載は、教科書の変化と、その中の企画にたまたま合致していたという運の良さはあったと思います。ただ「運」というのは完全に神任せではありませんので、たくさんの人の目に触れたことで、出版社の目にとまる確率が高まったことは間違いありません。
幅広く社会的に認められている実績
教科書だけでなくメディアに紹介されるには、何回雑誌や放送に登場しているか、どんな紹介をされているかは非常に重要視されます。たくさんの読者がいる媒体に、新しい危ないものを載せてはくれないからですね。
他の人がたくさん褒めていれば「きっと大丈夫そうかなぁ」と思える、保険のような感覚ですね。特にメジャーな雑誌やテレビ番組となりますと、一度もメディアに登場していない新しいネタは危ないから扱ってくれません。いくらデザインなり商品が良くても、メディアの評価や一般人・ネットの声が一定量あるかは、必ずチェックされます。
特に教科書に載せる場合は、数倍シビアになると想像できますよね。政府公認の本ですから。私の人物調査も少しくらいはやっているかもしれません。反社会的な言動をしていないかなどは、ネット検索したり、ブログやツイッターを読めばすぐチェックできます。
逆に考えますと、そういった公の場で情報発信をしていなかったら、判断材料が無いので掲載には至らなかったかも知れません。打診が来る前にリサーチするでしょうから、何者が作ったものなのかわからなければ、落選になっていたかと。
はなてがみのデザインを改良していく舞台裏は、数年に渡って花店のブログやツイッターに詳しく書いてあったので、誠実に作られたものだということも、誰が見ても明らかでした。1枚のプレスリリースに書かれた自画自賛の営業トークには、いくらでも嘘を書けますが、長期にわたる情報発信はあとで偽造するのはけっこう難しい。
保険という意味では、「はなてがみ」は、その日本政府が後援しているグッドデザイン賞のお墨付きを頂いているのも影響はあったと思います。比較的とりやすい賞ではあるのですが、著名デザイナー達が集団でまじめに審査をしているので、十分な権威がある。それから「はなてがみ」という名称を商標登録をしてあったことも多少影響しているかもしれません。
つまり、一見すると作品や商品だけが評価されているように見えますが、信頼性というのは非常に沢山の要素が絡み合った複雑なものです。商売やマーケティング、ブランディングにも共通することですが、良いモノを作れば売れるかというとそうでもなく、商品そのものの評価は、お客様の頭の中にあるモヤモヤした考えの一部に過ぎません。
絵画や彫刻といったアートは、良い作品かどうかは簡単に判断ができないものでして、ギャラリーや美術館・評論家の意見だとか、社会的なニーズを表す「金額」といったもので価値が決まります。金塊のような「物」としての価値ではなく、社会的な価値なので、たくさんの人々の評価で決まるものだからです。まったく同じ作品でも、時代が変わると価値が上がったり下がったりするのもそのせいです。
作品そのものはスタート地点にすぎません。どれだけの価値があるかを決めるのはたくさんの人々です。日本の社会が良いと認めたものを、政府が子どもたちに教えるときに使うのが教科書の役割ですので、たくさんの消費者や専門家が認めている必要があります。
まったく同じデザインを作ったとしても、小さな花屋の店頭で近所の人にチョロチョロ売っているだけの商品だったら、教科書には載ることは無かったでしょうね。
教科書に載ったデザイナーという肩書き
この記事は、教科書が出版されてすぐに書き始めましたが、いろいろ書きとめておきたい気持ちもありましたし、正直なところ、これが俺のデザイン人生のピークの話になるかもしれない・・・などと思いまして、書き上げるまでに2年近くの歳月が経て、その間に家族も増え、いまではマレーシアに住んでいます。
最後に、教科書という変わったものに載ると、経歴や仕事にどんな影響があるかを、わたし個人の感想として書いておきます。
まず、教科書に載ったからと言って、急に巨匠になるわけではありませんので、私の毎日は何も変わりません。変わったことがあるとすると、自分への「自尊心」は激しく満たされました。自慢話としては大変便利なネタです。
目に見えるメリットというのも特になく、仕事が増えたとか、稼ぎが増えたということもありません。ただデザインの能力というのは作品だけを見てもはっきりわからないことが多いので、一般の方には判断しかねるモヤモヤしたものです。どこぞの大企業と仕事をしたかなどの情報で、仕事を頼むかどうかを判断して頂くことになります。なので、教科書によって信用力は強くなった感じはしています。
あなたが、好きな芸能人だとか、お薦めの商品を友達に薦めるときには、「どこどこの雑誌に載った人」とか「どこどこの賞を受賞している人」というように、一言で相手にすごさを伝えられる言葉を使おうとすると思います。長々と説明するのは大変ですので。わたしの場合は、教科書に載る前は「グッドデザイン賞を受賞しているデザイナー」とか「(米アカデミー賞を受賞している)石岡瑛子さんのところで働いたことがある人」という紹介のされ方が多かったのですが、いまでは「教科書に載っているデザイナー」へと格上げとなりました。
このまま更に高みを目指すのがプロフェッショナル・・・と言いたいところですが、実は、歳とともに有名になりたいとか、巨大プロジェクトを手がけたいという欲は薄れてきました。世界的な大企業のお仕事もいろいろしてきまして、規模は大きいので社会的影響も大きいですが、ギャラが高い分、のしかかるストレスと責任も巨大ですし、大きなチームの歯車になるので自分の担う役割は逆に小さくなります。
花店のためのデザインのような小さなプロジェクトの方が、制約の無い楽しさや、自分が必要とされているやりがいが味わえることも多いのです。
ニューヨークで美大生をやっているときに、ハリウッドの仕事をする親方のお手伝いをしていたので、あの世界最高峰の重圧やストレスには、自分には耐えられないだろうと若いときに気付いてしまったことも影響していると思います。いわばエベレストの頂上で仕事をするようなものだということを見てしまった。空気が薄いんです、世界のてっぺんは。
年齢的なこともあるでしょうか。四十代に入りますと仕事はベテランになりますが、自分の得意なことだけでなく、能力の限界にも気付きます。第一線の世界で仕事をすると、世の中には自分よりも優秀な人はいくらでもいるのだなぁとわかりますので、頂点を極めることの難しさにも気付く。
なので、ほどほどで満足するのもよいのでは、と。
デザイナーとして教科書に載ることは、私にとっては、その十分満足できるところまでは到達できた感があります。人生の半分くらいのところで教科書に載れたので、この先は、すごいことをやろう!などと焦らず、楽しんで好きな仕事をして稼いで行けば良いかなぁという心境にさせて貰いました。若い時のように実力以上にかっこつけなくても仕事をしていけると思うと、ホッとします。
そうそう、新しい「仕事」も始まりましたしね。ちょうど教科書が出版された年に、我が家に双子の赤ちゃんが産まれました。偶然にも。
この子たちが、もう少し大きくなったら「お父さんは教科書に載ってるんだぞ」と自慢できるなぁと思うと、なんだか嬉しくなります。教科書に載って一番良かったことは何かといったら、それかもしれません。
デザイナーであり4人の子供を育てた私自身の父によれば、「子供のデザインが一番むずかしい」とか。
この頃は、ときどき仕事をほっぽりだして、常夏のペナン島で「プロジェクト双子」にいそしむお父さんです。