なぜ日本の外に住むことにこだわるのか。場所を変えるだけで自分の価値があがる不思議。街、国、会社。

いつも不思議に思うことがありまして、自分はなぜ、海外で生活するのがこんなに大好きなのかなと。

生活費が安く済むとか、天気が良いとか、誰が聞いてもわかりやすい理由はいろいろ考えつきますが、それだけで説明できないところがあるんですね。常夏で物価が安い町なら、日本国内にもありますし。海外生活は良い面ばかり取り上げられますが、実際にやってみますと苦労も多くて、慣れた日本で暮らす方が楽だと思うこともあります。

ここ数年モヤモヤと考えていたんですが、答えらしきものを見つけました。それは、日本の外に出たときにではなくて、逆に戻ったときのことです。

成田空港に降り立つと、祖国に戻ってきてホッとするのは当然なんですが、入国審査で大勢の日本人の列に並んだとたんに、ちょっとした不安を感じました。自分の存在感が薄くなったような気分でした。

海外では日本の人はよく見かけますが、行列全員が日本人ということはまずありません。自分が手に持っているのと同じ赤と紺のパスポートを持つ人たちの列に並んでいますと、ここでは、わたしも大勢の中のひとりにすぎないのだなぁと。帰国すると自分と同じ日本人はウジャウジャいますので、なんだか急に、ひとつ特徴を失ってしまったような錯覚ですね。

自分そのものは世界中どこに行っても特に変わりません。別の場所に行くだけで魔法のように変身したりはできませんから。ところが環境の方が変わりますとね、自分の存在がけっこう違うものになります。ここで書いている「環境」というのは、住む国や街のことですが、働く会社や仕事の業界にも同じことが言えます。

ひとつはシンプルに数の原理です。最近では海外に日本人はたくさん住んでいる・・・ように感じますが、中国やインドの方々に比べれば微々たる数で、一部の物好きが飛び出したに過ぎない程度ですから、珍しい存在です。数や量が少ないものは、自然と貴重な存在になる。金塊やダイヤモンドが高価なのと同じ理由ですね。

場合によっては、日本人というだけで、仕事という形でお金になることもあります。例えば、普通のアメリカ人が日本に来ると、少しだけトレーニングすれば英語の先生という職業につくことができますが、日本人の場合も日本語を話せるという、祖国では何の得にもならない能力を、仕事にすることも可能です。

自分がそれを経験したのは、NYの美大に通っていたときのこと。日本では神様のような存在だったデザイナーのアシスタントを、マンハッタンで数年したことがありました。日本だったら競争率が高すぎて近づくことすら難しい有名人ですが、そこはニューヨークでしたので、日本語を話せて気が利く美大生という組み合わせだけで、ものすごく重宝されました。日本だったらそこらじゅうにいるとまでは言いませんが、かなりの人数がいるレベルの若者です。

日本人デザイナーというのは、ある種のブランド化していて、世界中でとても人気があるんですね。真面目に働くし、文句は言わない。向上心も高く、裕福な国なので、良いものを使っているから、美的センスも磨かれている。すべての人が、そのブランドに一致するかというと、そうでもありませんが、先人の巨匠たちや企業の皆さんが築き上げた「日本のデザイン」という強力なブランドがありますし、デザイン業界でなくても、日本人はよく働くし礼儀正しいと一目おかれているところはある。日本じゃまじめに働くのは当然のことですが、外の世界では、それだけで超優秀な人扱いになります。

自分の希少価値に敏感なのは、自分がデザイン屋をやっているからではないかなと。他人と同じようなことをやっていると軽蔑される業界なので、人様と似たようなものを使っていたり、生活をしているとなんともいえない恐怖を感じます。自分の存在意義がなくなることは死活問題なんですね。

そんな自分ですから、海外で生活しているとなぜか気分が良い。違う世界で生活するのはデザインの発想の刺激になるのでメリットではあるのですが、なにより生きてて気持ちが良い。なんとなくですが。

こういうことは、同じ街や国にずっと住んでいると気付きません。世界中のあちこちに住んでみた今思うのは、場所を変えただけで、自分の価値が変わるということです。自分が特に変わった存在でなはいと思っていても、日本なり世界で住む場所を変えてみたり、働く会社を変えるだけで、急に重要な存在になることもあるということです。自分が気付いていないこともあるかもしれませんし、うまくいってないなら間違った場所にいる可能性もある。

自分を変えるのは年月のかかる一大プロジェクトですが、生きる環境の方を変えるのは、意外とかんたんなことです。

南国の薄暗い小部屋に幽閉され、不覚にも、仕事がはかどってしまうお父さん。

マレーシアのコンドミニアムは、3LDKくらいの間取りですと、そのうち1つは謎の小部屋になっています。

これは住み込みのメイドさんのための部屋で、日本だったら物置部屋のような感じでしょうか。メイドさん仕様だとわかるのは、小さな専用トイレとシャワーもすぐ隣についている点。

いま借りている物件では、広さにすると5畳くらいでしょうか。玄関を入ってすぐのところにあって、日当たりも良くなく、窓からの景色はシービューならぬ、「エアコン室外機ビュー」。

短い滞在だと仕事をするのに一番困るのが、まずネット回線なのですが、次に仕事机です。本当に短いステイだと、カフェに行ったり、食事テーブルやカウチで代用しますが、今回は少し長めの2ヶ月ちょっとなので、近所の家具屋で安い机(約4,000円)と、オフィスチェア(2,500円)を調達。幅1mの小さい机なので、モニターとノートMacは、はみ出しています。

デザイン屋という職業柄、画面は大きめでないと仕事がはかどらないので、毛布でグルグル巻にして、スーツケースに突っ込んで持ってきました。東京でも常用しているのは、Dellの25インチモニターで、HDよりも一回り解像度が高い「2515H」。4万円ほどのお手頃プライスで、サイズも小さすぎず大きすぎず、バランスが良いので愛用しています。液晶モニターは、ガラスの板そのものなので、飛行機にチェックインするときはご注意を。

机と部屋、それからコンピュータの画面は、大きいにこしたことは無いのですが、小さいと余計なものは置けないので、逆に集中はしやすいと思いますね。小部屋というのもなんだか落ち着く気分。毎日30℃超えの南国ですが、エアコンもあっという間に効きます。

我が家では「お仕置き部屋」とも呼ばれる、この薄暗い小部屋にとじこもって、お父さんは今日も、気が向いたときに せっせとお仕事なわけですが、日本での生活と根本的に違うのは、仕事が終わったらそこは南の島なわけですから、すぐにプールにでも出かけてリラックス&充電できるというところでしょうか。仕事しながらリゾート滞在している感覚。

人間、充電しないとダメですね。休みをとらずに、ひたすら仕事をするなどというのは、充電しないでスマホを使おうとしているようなもんです。

 

アンチ腕時計男が、急に腕時計を買った理由。

プノンペンからの帰路、乗り継ぎで早朝のバンコクの空港にて。搭乗まで時間があり、免税店で腕時計を見物した。

もっとも、高級品に全く興味はなく、腕時計を最後に身につけたのがいつだったか覚えていない。みなさんと同じように、時間はスマホとパソコンで知れば良いという方針。

そんな男が、なぜまた急に、腕時計に興味を示したか。

アナログ時計の方が、時間を直感的に認識しやすいという記事を読んだからです。時間の感覚が甘い人は特に有効とのこと。

これで締切間際のドタバタ人生とおさらばか!・・・などと淡い期待を抱き、swatchの中で下から2番目に安いシンプルなブラック時計を、空港で買いました。我が国の消費税分くらいは安いかった計算。

自分の場合、デジタル時計を見ると、一度アナログ時計に脳内変換してイメージするので、1段階スキップできるかもしれない。一日に何度も繰り返すことだから、積み上げると仕事に影響がでる可能性もあるでしょう。

皮バンドはすぐに傷むし、金属バンドはノートパソコンが傷つくので、プラスチックバンドの時計を探していました。CASIOの1,200円時計も悪くなかったのですが、職業的にやばいかもと判断。空港を歩いていて、swatchの看板が目に入り、おお、あれならセーフか、と思ったわけです。

ゲートそばのカフェで、いそいそと透明プラスチックのハードケースを開け、左腕に装着してみる。

スマホのデジタル時計が、6:56AM。東京便の出発まであと30分ほど。デジタルだと直感的には「まだ6時台」ですが、アナログ時計だと「ほとんど7時」という感じがした。つまり、デジタルとアナログ時計を比べると、最大で1時間の感覚差が出ているかもしれない。この「まだ6時台」という感覚は、商品の値段を980円のように桁数を減らす商習慣と似ている感覚と近いでしょうか。

この時計をつけたら仕事モードON!という条件反射を狙って、ここ数週間、使っています。

swatchのシンプル時計は、おもちゃのようなつくり。中でも驚いたのは、チクタク音がかなり大きく、静かな部屋で打ち合わせしていると相手が気づくレベル。

この気になる音が、締切という名の時限爆弾を身にまとっているかのようで、非常に仕事がはかどっています。

気がする。

温泉旅行の写真が仕事で採用。プロの基本「量と質」の関係とは?

写真はプライベートだけで、年間5,000枚くらい撮るのですが、たま〜に、それをデザインの仕事で使うことになることがあります。

熱海の海沿いに建つ、日帰り温泉から撮ったこの1枚も、そんなうちの1つ。

知り合いの小さな会社のウェブサイトを作る仕事をやってまして、会社のイメージが「海」。載せる写真の候補として、おまけで私の撮った写真も送ったら、私のやつが採用になりました。こういうことがあると、じんわり嬉しいものです。

オーナーさんがヨットに乗る人で、海は海でも、「黒潮」の海の写真がイメージに近かったとのこと。色が違うのだとか。

わたしは1回カメラを構えると、最低数回シャッターを切ります。構図を少し変えたり、自分が立つ位置を変えたりなどなど、あまり深く考えずにとにかく少しずつ違うだけのカットを撮る。特に人を撮るときは、表情が刻一刻と変化していますので、さらに多めに。

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このときは9枚撮影。いらないものが映り込まないように苦労したことがわかります。このうち1枚を色補正しました。

デザインの巨匠チャールス・イームスが語った「わたしのデザインの『秘密』」を思い出します。まず100のアイデアを出す。その中からベスト10を選び、それぞれ100個のバリエーションをつくる。納得がいくまでひたすら繰り返せば、勝手に良いものが完成するということ。つまり、秘訣なんかなくて、量の努力に過ぎない、というニュアンスの話。

プロはたくさん作り出した中から、ベストな1つだけを選んで世に出しています。一般の方は、完成形しか眼にしないので、アート系の仕事をする人は1発で傑作を作り出していると思っているようですが、裏側は結構地道な作業。

写真ひとつにしても、日常的にたくさん撮っているから、失敗もしまくって、打率が上がっていきます。これもまた努力あるのみ。

プロは量が勝負。量がともわない品質は存在しない!

・・・と書いといてなんですが、わたしも、まだまだ量が足りませぬ。精進しまふ。

儲かってからじゃ遅い! プロが法人化して賢く生きる方法

前回の「自分が2人に増えちゃった話」では、自分の他に、法人という名の、もうひとりの自分をつくれるという話を書きました。

今回は、その肝である、具体的なメリットについて書いていきます。

個人と法人という「2人体制」で仕事をすると、どんな利点があるのでしょうか?

個人か法人、税率が有利な方で税金を払える

どちらも「人」扱いなのに、それぞれ税率やルールが違うので、有利な方を選んで税金を払えるという、不思議なことが可能になります。

まず、儲かってしまっている個人営業のプロが法人化のする最大の理由のひとつである「税率の差」を考えてみます。

個人だと、収入の上昇に比例して、所得税・住民税・健康保険料の税率が高くなって行く「累進課税」です。税理士さんが書いているその筋の本では800〜900万円の収入になったら、法人化した方が良いとされています。1,800万円を超えると、半分が税金になります。

法人の場合は、収入に関わらず法人税等のトータルが35.64%で固定(現時点の実行税率)。この税率はアメリカと比べると安く、他の先進各国よりも高い部類とのこと。1/3というと多いように感じますが、個人でも税や健康保険の合計で、そのくらい払っている人はざらにいるはず。社長=自分に払う給料の額は1年に1回は変えられますから、法人と個人にいくらずつの申告所得を割り振るかを、調整することもできます。

わたしが法人をつくる前は、この税率の差が節税に関係がある最大の要素だと思っていたのですが、実は、次の要素が予想外に巨大なことがわかりました。収入が増える前に法人化するのも、十分ありです。

経費として認められる範囲が、個人と法人で違うという怪

法人化した方がよいかどうかを論じるとき、税率の話だけが注目されるので、儲かっていない仕事人は株式会社にしてもメリットがなさそうだと思っている人が多いかと思います。

わたしもそう思ってました・・・が、さんざん勉強した結果、もっと大切なものがあることがわかりました。それは、経費のルールの違いです。

実は、法人だと経費にできるお買い物の範囲が、遙かに多い。

法人で無いと落とせない経費には、社員(=社長)へのあの手この手の福利厚生(現物支給や夜食、慰安旅行代など)や、長距離出張のご褒美に非課税で現金を支給できる「出張手当」まで盛りだくさん。

仕事に使う車や自宅兼仕事場は、個人営業では私用で使う時間分は個人で負担することになるので、一部しか経費にできませんが、法人名義だと購入からローンの利子、維持費や車両税・車検代まで、すべて経費にすることができます。

車よりもさらに高い不動産の購入も、法人の方が有利とされています。自宅を法人名義で購入し、社宅として自分に貸し出すことができるわけですが、購入後に継続してかかる費用もすべて経費にすることができます。ローンの利子や、修繕費、固定資産税は、個人だと収入のなかから自腹で払うことになります。

土地だけは個人で所有し、建物は法人で持つと、多額の相続税が節約できるというメリットもあるらしい。建物は毎年、減価償却することによって帳簿上の価値が下がるため、数十年後に建物の価値はゼロになります。その時点で財産の少なくなった会社の株式を相続するという節税手法だそうです。土地や絵画は、古くなっても価値が下がらないという扱いなので別です。

不動産の購入になんぞ縁が無い!というそこのあなたも、仕事場の家賃くらいは払っているでしょう。

法人の本店登記住所を自宅にすると、少なくとも家賃の50%を経費にできます。個人で自宅営業の場合は、水場などの共用部分を一切除いた、仕事専用の部分の面積比率しか経費にできませんから、多くても1/3くらいが限界ではないでしょうか。

逆に、個人の方が有利なものも少しだけあります。それは接待交際費。

個人だと営業活動に関係あれば無制限に使えますが、法人にすると1人1回あたり5,000円まで/年間600万円の上限、しかも90%までしか経費にできないという制限があります。資本金1億円以上の会社となると、接待交際費は一切経費にできなくなっています。大企業の人が、最近ぜーんぜんおごってくれない理由はこれです。高い飲み食いが好きな人は、個人事業の方が有利な場合もあるかもしれません。

私のここまでの勉強と経験では、経費にできる幅は、法人の方がだんぜん有利で、個人事業のときよりもかなり多い金額を経費にすることができています。少し勉強が必要で頭は使いますが、その価値は十分あるかと。

法人と個人で、経費を二重に落とせるという奇妙な話

お仕事をした報酬は法人が受け取ることになり、そこから様々な経費を差し引きます。残った金額の中から、電卓片手に法人税の予想額をにらみつつ、唯一の社員である自分に対して払う給料の額を自分で決めて払います。

自分で自分に給料を払うという、1年弱やってもまだ違和感のある毎月の光景です。

さて、そのお給料。社長さんがもらった金額ぜんぶが課税の対象になるわけではありません。「給与所得控除」というものを差し引くことができます。お勤めの方なら、正体不明とは思いつつ、聞いたことはあるでしょう。

これが、個人営業の人が株式会社を持つ上で非常に重要なのです。金額も大きい。

サラリーマンでもスーツや靴を買ったり一定の仕事のために経費が発生しているでしょ?という、政府のあたたかい配慮により、「勤め人のための見えない経費」を引くことができるのが、給与所得控除です。

例えば、社長である自分自身に支払う給料の年間総額を、控えめに300万円にしたとします。これは法人としてあの手この手で経費を吸い尽くした末の残金です。

ところが、ここから更にサラリーマン控除を引ける! 300万円の1/3強にあたる「108万円」が給与所得控除になり、192万円にだけ税金がかかります。これが個人事業だと、経費を差し引いた残高である300万円がまるごと課税対象に(青色申告でも、収入に関わらず65万円の控除の限界が)。これだけで10万円単位の税金の差です・・・。

1人で設立したマイクロ法人を持っていると、いわば二重に経費を載せられる形になるというわけです。

2人の「人」の間でお金をやりくりできる

仕事の報酬を個人で受け取ると、その時点で、どうにもごまかしようがありません。移動する先が、他人しかありませんので。

法人を持っていると、受け取ったお金を、会社と個人にどうやって分配するかを決めることができます。

個人としての自分に、法人から払う給与の額も、意図的にコントロールが可能です(社長の給料は、1年に一回だけしか金額を変えられませんけれども)。

法律上は、個人と法人は、まったくの別人なので、お金の貸し借りもできます。

クレジットカードをつくったり、ローンを個人で借りたいときは、信用を上げるために個人の給料を増やし、法人で融資を受けたいときは法人収入を増やす、ということもできるようになります。

連帯保証人無しで、家や事務所を借りられる(理論上)

個人で家を借りるとなると、自分が「借り主」になり、親に「連帯保証人」になってもらいますよね、普通は。

法人で借りる場合、借り主は法人、連帯保証人は社長個人という、奇妙なことも可能になります。あくまでも法律上は2人ですので。

大家さんが承諾の上という前提はありますが、事実上、連帯保証人が不要というケースもありうる。私はまだ実践していませんが、近い将来経験することになるかと。

勤め人じゃなくてもクレジットカードが作れる(理論上)

個人営業で苦労することの筆頭は、新しいクレジットカードをつくるときです。

カードというのは「安定した収入のある勤め人」を対象にしている金融サービスですから、個人営業の人には簡単には発行されません。収入がジェットコースターな人の返済能力は正確に計ることができませんのでね。私だったらそういう人の申し込みは却下するでしょう。

さて、自分の法人を持っていると、オーナーである社長は給料を貰っている勤め人ですので、少なくとも「勤め先」を書くことができる。収入も、自分で決めた人聞きの良い金額にしてあれば「安定した収入」をクリアできます。

法人の年商や従業員数なども審査の対象になるでしょうが、少なくとも、単なる個人のときよりは条件を多くクリアできます。ちなみに「従業員数」というのは、皆さん勝手に正社員数のことだと思っている方が多いですが、法的定めはなく、各会社独自のものなので、アルバイトや非常勤のお手伝いさんまでカウントしても構わないらしいです。要するにお金を払った人に人数。

勤務事実の確認電話がカード会社からかかってきて、自分が出るというのも、なにやらきもちわるい光景ですが・・・。

個人営業だと住宅ローンもNGなことが多々ありますが、同じ理由で有利になるのではないでしょうか。

個人を守る砦を持てる

人生、不足の事態はどこかで必ず起こります。事業でなにか大失敗をやらかしたり、外注費を払えなくなって、多額の債務を背負うこともあるでしょう。

個人事業の場合、当たり前ですが、その全額を個人として背負うことになります。払えなければ自己破産でもするしかなくない。

株式会社は「有限責任」というルールなので、株主=自分には、債務の責任がおよびません。

たくさんの人からボコボコに怒られること必至ですが、会社をつぶせは、それでめでたくおしまいです。借金などの場合、社長が個人として連帯保証人になっていないことが条件になりますが、法人という楯で身を守ることができる状況は多くなります。

節税のことをメインに書いてきましたが、あぶない現代ことがあふれかえる現代。個人としての活動は、社会への露出やプライバシー面、法律上においても無防備な状態です。

法人と個人という2人の自分を使い分け、リスクを引き受けてくれる身代わりを持つ。身を守る手段として、「影武者」としての法人を使って生き抜くのもありではないでしょうか。

必殺『分身の術』! 株式会社にしたら、自分が2人に増えちゃった話

自分がもう一人いたら、いろいろ楽だろうなぁ。〆切に追われながら、そう何度も妄想したことがあります。

そんな私が去年の初夏、会社をつくったら、なぜか自分がふたりに増えてしまいまして、いろいろと有利になりました。

主に、税金上のことですので、仕事は楽になりませんでしたが。

会社と節税の話には、私のまわりの仕事人さんたちが、強く興味を示しているので、一個人のプロが小さな株式会社をつくるとどんなメリットがあるかを、「二重人格」という、ちょっと変わった視点からご紹介します。

わたしは、ずっと個人営業のデザイナーとして仕事をしてきましたが、橘玲さんの『貧乏はお金持ち』という謎めいた本を買ったことがきっかけで、昨年の初夏に思い切って、阿部書店株式会社という会社をつくりました。

会社を作る理由は、大企業との取引で社会的信用が必要とか、儲かってきたので法人にして節税!・・・というものが大半だと思いますが、わたし自身としましては、「分身の術」が使えるようになったことが、予想外に一番便利だと実感しています。

まず、基本的な概念からご説明しましょう。

「人」というと、肉と骨の固まりである私たち自身をまず思い浮かべますね。法理上は「自然人」と呼ばれ、そのへんにゴロゴロいる、あの2本足で歩き、よく鳴くあれです。神様がつくった人、とも言えるかと。警察に守ってもらったり、裁判を利用したり、パスポートを持って外国に行ったり、お金を借りたりなど、平等の権利が保証されている生身の生き物です。

生身の人間以外に、ちょっと変わった「人」もあります。株式会社をはじめとする「法人」というやつで、人自身がつくった、もうひとつの人です。

「法律」の力により、自然人と似た権利を持つことができる「人格」という意味だそうです。一般的には複数の人が一緒に活動しやすいように集まったときに持つものなので、社長のほかに監査役など数人が必要でした。ところが景気対策の一環で、資本金1円でも株式会社が作れるようになっただけではなく(前は1,000万円必要でした)、「1人だけ」で株式会社を作れることになりました。

1人で会社を作れるということは、たいそうなことには聞こえませんが、これが実は、どえらいことなのです。

つまり、事実上、会社なのに一個人とほぼ同じということです。普通の会社と性質が違うので、俗称「マイクロ法人」と呼ばれています。株主はオーナーである自分だけなので、社長の一存でなんでもできることになります。つまり、一個人と大差ありません。

さて、こうして自由に使い分けられる「2人の自分」が生まれると、どうなるでしょうか? 次の記事で具体的にご紹介します。

すごいクリエーターが持つ『直感』の正体。プロが直感で決断を下せる理由

デザインの巨匠が口を揃えて、デザイナーの卵たちに言う定番の言葉があります。

「直感を信じなさい。」

私も、美大時代にさんざん聞かされてからというもの、この言葉を信じて仕事をしてきました。ほんとに鵜呑みにして大丈夫なのかなぁ、という一抹の不安を感じつつ。

ところが、あるお堅い本によれば、直感というのは、自分の過去の経験すべてから脳が瞬間的に感じ取るものらしい。第六感的な神がかったものかというと、そうでもない。

人間がどうやって決断するのかを科学的に分析した「Sources of Power: How People Make Decisions」という本に書かれている、この説が正しいとすると、早い話がこういうことになる。

直感を武器に仕事できるのは、連戦錬磨のベテランのデザイナーだけ。

「直感を信じろ」というセリフを私に話してくれたのが、ほぼ全員、超一流の人気デザイナーだったことから考えると、これは正論です。

よく観察してみると、直感を!・・・と言っているスゴ腕のおっさんおばさん達は、毎日地道に勉強を続けているし、新しい仕事となれば、大量のリサーチをする。

あの人たちは「直感を解読する技術」も身につけているに違いないと思っています。直感というのは、形がなくて雲のようにモヤモヤしている「気分」のようなもの。頭の中にどんな形の雲が現れたら地震が来るとか、雨が降るとか、場数を踏んでいないと判断しようがない。作っていて、どんな気持ちになるデザインがうまくいくかは、失敗と成功を様々に経験したからこそ選べることなのではないかと。一流のプロ達でさえ、陰では失敗作を連発しているのを、私が見てきたから、そう思うわけですが。

さて、私が今、若い人にアドバイスをするならば、こうなります。

「膨大な量の経験を積み重ねろ。そうすれば『直感』を信じられるようになる。」

「何歳までなら天職探しをしていいのか?」 — 石岡瑛子さんから聞いた仕事論

ロサンゼルスから、恒例の年賀Eメールが届きました。

MITメディアラボ出身のロシア人デザイナー、ニキータ氏より。ちょうど同じくらいの歳なので、お互い気がついたらいい年齢になっちまったねえ、とか書かれた中に、最近すっかり忘れていたことが書いてあった。

「君の親方によれば、35歳超えたら本気にならんといかんという話だから、俺たち、もう数年も過ぎちゃってね?(笑)」

そういや、当時の親方・石岡瑛子さんはそんなことを言っていた。

金はいらんので話を聞かせろ!というお手伝いの条件に、彼女が律儀に応えてくれたなかで聞いた仕事論の1つ。対する私は20代前半。

この話は、印象に色濃く残っているものの一つです。正確には、35歳ではなく「40歳」がリミットだそうですが。

「40歳まではいくらでも迷っていいし、むしろいろんなことを経験した方がいい。でも40歳になったときに、一生を捧げる自分の仕事が定まっていないといけない。後は、がむしゃらにそれをやる。」

この話を聞いた私は、意外とのんびりでいいんだなぁ、と思いました。

20年間試行錯誤して、そのあと70歳くらいまで現役バリバリで仕事をし続けるとして、活躍できるのは、たったの30年くらいの期間しかないじゃん!と。

石岡さんからその話を聞いてから、もう15年ほど経ちました。四十までの猶予期間は意外と短かった。ほんとに、あっと言う間。

私は、人並みの10倍くらい迷走した、どアホ男です。

意図してそうしたわけではなくて、興味のおもむくまま、優柔不断に生きてきたら、自動的にそうなりました。

木の家具作りの修行から始まって、工業デザインを学び、ウェブデザインやグラフィックで稼ぐようになり、ライター業もやり、銀行や花屋に足を突っ込み。脈絡なく手を出してきた。

そんな、ちぐはぐなキャリアを経て、いまの実感はどんなものかというと、これだけははっきり言えます。

人生、無駄な経験なんぞ一切ない。

1つ例を挙げると、高校生のときに私が年賀状配達のバイトをやらなかったら、「郵便で花を贈る」サービスは思いつかなかったわけです。あのときの純朴な彼は、20年後にグッドデザイン賞をもらうためのノウハウを身につけ中なう!・・・などと想像することすらできるわけもなく。

飲食店でのバイトなら接客技術が身につくし、ティッシュ配りなら受け取ってもらうための売り込み能力が身につく。こういう種類の経験は、どんなビジネスでも必要になる、オールマイティにつぶしの効く経験です。

今思うと、学校を卒業したばかりの若者が、一生を捧げる職業を選ぶなどということは、無茶ですよね。選択肢すら洗い出せていないから。自分に合っている職業の存在にすら気付いていない。

だから、若いときは、何も計画なんかせずに、飛び込んできたおもしろそうなチャンスに飛びついていけばいいのです。理由はいらない。とにかく、たくさんの種類のことを経験するのが正しい。

自分の究極の職業なんてものは、世界的な仕事人でも40歳までわかるものではないらしいですから。