日本のスタバではまだ流行っていない、ある飲み物

ニューヨークのスターバックスでレジに並び、自分の番を待っていると、よく聞こえてくる名詞があります。

それは、「ディ・カフェ」。カフェイン抜きのコーヒーです。

わが国では、カフェインは眠気さましの特効薬という救いの神的存在ですが、コーヒーを水がわりにガブガブ飲むアメリカでは、コーヒー中毒(=カフェイン依存)の人が多く、体に悪いものという印象が濃いのです。健康オタクが集まるニューヨークのような大都会だと特にそう。

最近、化学部質が頭脳におよぼす影響を、アメリカの医者が書いた本数冊で勉強したのですが、どの本も、カフェインと白い砂糖、そしてアルコールは、脳のパフォーマンスが落ちてやる気がなくなり、鬱状態に加担する物質の筆頭にあげられています。

ご存じのように、カフェインには血糖値を急に上げる効果がありまして、瞬間的に元気になって興奮状態になる。目が覚めたように感じるのはそのせいです。

ところが、副作用もある。血糖値があがりすぎたと検知したあなたの体は、インシュリンをどーんと大放出。血糖値が一気に下がってしまい、平常レベルを通り越して低血糖状態に転げ落ち、元気を奪います。

カフェインや麻薬のような興奮剤は、その化学反応の過程で、精神の安定に必要な化学物質を大量に消費してしまうという側面もあるそうです。精神的に不安定な人には、血糖値の乱高下とあわさって、かなり危険な存在。

すっかり健康オタク化している私は、普通のコーヒーとアルコール、精製された白い砂糖は少なめにするようになりました。この3つをやると、体と頭が動かなくなって、仕事が進まないため。

ちょっとネットで調べてみると、かのGIGAZINEもスタバのディカフェを取材していました。その記事によれば、ネスカフェも「ゴールドブレンド カフェインレス」というインスタントを売っているらしい。

コカコーラも、やっと数年前に日本で、カフェイン抜き・砂糖抜きの「コカコーラ・ゼロ・フリー」を売り始めましたね。あまり売れて無さそうですが。

さて、日本のスタバでは、ドリップコーヒーとしてだけですが、「ディ・カフェ」をオーダーできます。

あなたの前に誰もオーダーしていないときは、新しく作ってくれるので10分くらいお待ちいただくことになりますが、ディカフェは時間がかかるので、店員さんがテーブルまで持ってきてくれます。

誰もオーダーしない裏メニューのような存在。自分だけのためにいれてもらった1杯のコーヒーを、フルサービスで飲む。ちょっとスペシャルな気分を味わえる逸品です。

領収書は「阿部書店株式会社」でお願いします。法人登記完了

地下鉄・九段下駅を出ると、雨が降り始めていた。

まだ小雨だけれども、私は傘を差し、皇居の方向へと歩き始めた。数分歩くと、左手に東京法務局が入っている、これといった特徴の無い建物がある。

法人登記の部署は3階で、この建物には税務署やらなんやら入っているようで、工務店風のおじちゃん達が次々にエレベーターに乗ってくる。

私はカバンから、おろしたばかりの現金が入った封筒を取り出すと、印紙売り場のブースに向かい、ドキドキしながら言った。

「株式会社登記の、15万円をお願いいたします。」

おばさんは、奥の方の姿の見えない人物に向かって「数えてください」と言いながら、私から受け取った札の束を渡す。そして、10万円と5万円分の印紙を1枚ずつ私の前に置き、小ぶりな領収書にサラリサラリと素早い手つきで「150000」と書くと、大きな丸いハンコをドドスンと押しから、「はい、ありがとうございます」と言って差し出した。

15万円の価値がある切手のような紙きれなんぞ、めったにお目にかかるものではないから、さっそく写真を撮って、ツイッターとfacebookに載せた。

前に、商標登録の出願で特許庁に行ったときでも、たかだか4万円くらいの印紙だったから、私が見たことのある紙片の中では、面積あたりで一番高価な紙切れだ。

法人登記の受付カウンターを見つけ、列に並んで順番を待つ。

私の前に数人ていど。事業年度の開始は毎月1日だから、今日はあまり込んでいないのだろう。

先頭に目を向けると、業界系のおばさんと窓口のお姉さんが向かい合って、マジな表情で、2冊の書類の束を同時に機敏な動きでめくっている。数秒凝視した後に、1ページめくり、そしてまた1ページ。何をやっているのか皆目検討がつかないが、見事なシンクロぶりだ。

その姿は、鏡に映る相手の真似をする、パントマイムのごとく。

あっという間に私の番が来て、そのパントマイム担当の若いお姉さんに書類を渡した。

書類作成は代行してもらったので、特に不備があるとも思えないから、これでめでたく登記完了だ。

・・・ところが、お役所らしからぬカジュアルな口調のお姉さんは、書類の束の1ページ目を一瞥するやいなや、「本店の住所は新宿区ですかぁ?」と言った。

「すみません、新宿区の登記は、新宿出張所の方に行って頂かないといけないんですよぉ。もしも今日中に登記なさりたいようでしたら『走って』大久保に行ってください」

「は、走ってですか?(笑)えーと、何時までやってますか?夕方までは大丈夫ですかね」

「そうですね、5時15分までやってますのでぇ」

東京法務局の管轄エリアは、東京23区全部だと書いてあったので、九段下にある親玉の建物に行けば良いと思い込んでいたが、来る場所を見事に間違えた。

そして向かった先は、コリアンタウンとして世に名をとどろかせる大久保駅。駅を降りてからの道すがら、韓国語やら中国語やらが耳に入ってくるので、そのへんにいる人が、みんな外人さんにも見える。

東京法務局・新宿出張所は、さっきの都会派最高峰に比べると、ぜんぜんときめかない門構えだ。隣の不動産屋の看板と、デザインと色使いでは区別がつかない。

少々がっかりしながらも、人影まばらな法人登記の窓口へ向かうと、そこにいたのはヨン様だった。

さきほどの女性とは対照的に、クソマジメで色白メガネの大人しい、愛想ゼロの青年。いかにも公務員なわけで、むしろこっちの方がしっくり来ると言えば、そうとも言える。

「株式会社の登記をお願いします」

今日2回目のそのセリフを言って書類の束を差し出すと、ヨン様は、まず綴じていた大きなクリップを外し、無言で書類をパラリパラリとめくって確認している。一言「18日です」と言って私にA4のコピーを1枚渡し、彼は書類の束を小さなワイヤークリップでまとめると、すぐわきのパソコンに座ってキーボードを打ち始めた。

その紙には「本日(6/12)の登記申請は、6月18日(月)を予定しております」とある。その日以降なら、登記が完了した証明書を発行することができるということのようだ。その証明書をもらって初めて銀行に口座をつくったりできるようになる。内容の審査のようなものがあるので、その場ですぐには完了しない。

特に受領控えのようなものをくれるわけでもなくて、いつも不安になる。

先日、父の会社の手続きで府中法務局に行ったときも、書類を渡すと「ご苦労さまです」とだけ言われて終わりだった。法務局というのはそういうものなのだろうか。

こういうものに慣れていていない私は、念のため1分ほどロビーをウロウロして、ヨン様が私を探していないことだけ確認すると、傘を取り出して、雨の大久保の街へと出て行った。

設立日は、書類を提出した本日付。今日からは、領収書は「阿部書店株式会社でお願いします」ということになるのだ。

私は、若い頃に立ち寄ったことのある、大久保駅と新大久保駅のちょうど間にある、安い回転寿司の自動ドアをくぐると、独りプチ祝いランチの会をはじめた。

一流の仕事人に共通の恐るべき「あたりまえ」

バレエダンサーの草刈民世さんは、子供の頃、朝から晩まで苦しい練習を毎日続けるのが、ごく「当たり前」だと思っていたそうです。

大人になるまで、ずっとそういうものだろうと思って生きてきたと言う。だから、別に苦しいとも思わなかったのだとか。そして、気がついたらトップに上り詰めていた。

「バレエ漬け」というの本の中で、彼女がそう書いているのを読んだとき、私の働き方に対する当たり前が、少し変わりました。

素晴らしい仕事をするために、寝る間を惜しんで目の前の苦痛に耐えるなんて当たり前!と思っている仕事人とは、凡人では勝負になるわけがありません。

あるデザイナーの頭の中

わたしの持っている「あたりまえ」の中には、仕事柄、世の中の感覚とはすこしずれているものが沢山あります。そのうち一つは、自営よりも、お勤めのほうが奇妙な生き方だと思っている、ということかもしれません。

生まれてこのかた、正社員として勤めたことがあるのは、2年半だけです。

声をかけてきたヘッドハンターに、800万円くれるなら面接に顔を出してやっても良いぞ言ったら、あっけなくOKが出てしまったので、銀行でデザイナーをやりました。ふたを開けてみたら、ボーナスやらなんやらで年に1,200万円貰っていた。

でも、だんだんと会社が安定期に入って、入社当時の自分の存在意義は薄くなり、仕事も面白くなくなったので、さっさと辞めてフリーに戻りました。

こういう判断を躊躇なく下せる感覚は、子供の頃から、家の一角でデザインの仕事をする立派な父の背中を見てきたことから生まれたものだと思います。

活き活きと自営で働く姿を子供の眼で眺めていて、仕事というのは楽しいものだということ、それから、自由に時間が使えることや、たまにお金が足りなくなって苦労する不安定さも、仕事人には当然のことだという価値感が頭に染みついている。おそらく死ぬまで変わることもないでしょう。

仕事人として、生きる場所は意図して選ぶ

あなた自身の人生からうまれた「あたりまえ」は、どんなものでしょうか?

おそらく、自分の周りにいる人々や家族、働く会社の中でできあがった価値感だと思います。

人はグループで生活することで生き残った生物。だから、自分の身を守るために、無意識にまわりの人々と同じ行動や、服装、そして考え方をするようになる生き物なのだと言われています。

流れにまかせておくと勝手に同調してしまうので、自分が生きる場所というのは、意識して選ばないといけない。だから、ときには思い切って、当たり前感覚が違う人たちの世界にお引っ越しをした方がいい。

特に仕事に関しては、自分のつくりあげる仕事の質や、働き方の基準をどのへんに設定しているかという考え方の違い一つで、長い人生の末に進む距離は大きく違ってきます。

私が昔から大好きな「あたりまえ」は、あの有名な仕事人コンビのもの。

崖っぷちに追い詰められて、絶体絶命の大ピンチ。ルパン三世と次元大介は、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて叫ぶ。

「おもしろくなってきやがったぜ!!」

 

{写真:香港の道ばたに集められた工事の看板。日本と似たようでありながら、よく見るとなにか違うという感覚}