バレエダンサーの草刈民世さんは、子供の頃、朝から晩まで苦しい練習を毎日続けるのが、ごく「当たり前」だと思っていたそうです。
大人になるまで、ずっとそういうものだろうと思って生きてきたと言う。だから、別に苦しいとも思わなかったのだとか。そして、気がついたらトップに上り詰めていた。
「バレエ漬け」というの本の中で、彼女がそう書いているのを読んだとき、私の働き方に対する当たり前が、少し変わりました。
素晴らしい仕事をするために、寝る間を惜しんで目の前の苦痛に耐えるなんて当たり前!と思っている仕事人とは、凡人では勝負になるわけがありません。
あるデザイナーの頭の中
わたしの持っている「あたりまえ」の中には、仕事柄、世の中の感覚とはすこしずれているものが沢山あります。そのうち一つは、自営よりも、お勤めのほうが奇妙な生き方だと思っている、ということかもしれません。
生まれてこのかた、正社員として勤めたことがあるのは、2年半だけです。
声をかけてきたヘッドハンターに、800万円くれるなら面接に顔を出してやっても良いぞ言ったら、あっけなくOKが出てしまったので、銀行でデザイナーをやりました。ふたを開けてみたら、ボーナスやらなんやらで年に1,200万円貰っていた。
でも、だんだんと会社が安定期に入って、入社当時の自分の存在意義は薄くなり、仕事も面白くなくなったので、さっさと辞めてフリーに戻りました。
こういう判断を躊躇なく下せる感覚は、子供の頃から、家の一角でデザインの仕事をする立派な父の背中を見てきたことから生まれたものだと思います。
活き活きと自営で働く姿を子供の眼で眺めていて、仕事というのは楽しいものだということ、それから、自由に時間が使えることや、たまにお金が足りなくなって苦労する不安定さも、仕事人には当然のことだという価値感が頭に染みついている。おそらく死ぬまで変わることもないでしょう。
仕事人として、生きる場所は意図して選ぶ
あなた自身の人生からうまれた「あたりまえ」は、どんなものでしょうか?
おそらく、自分の周りにいる人々や家族、働く会社の中でできあがった価値感だと思います。
人はグループで生活することで生き残った生物。だから、自分の身を守るために、無意識にまわりの人々と同じ行動や、服装、そして考え方をするようになる生き物なのだと言われています。
流れにまかせておくと勝手に同調してしまうので、自分が生きる場所というのは、意識して選ばないといけない。だから、ときには思い切って、当たり前感覚が違う人たちの世界にお引っ越しをした方がいい。
特に仕事に関しては、自分のつくりあげる仕事の質や、働き方の基準をどのへんに設定しているかという考え方の違い一つで、長い人生の末に進む距離は大きく違ってきます。
私が昔から大好きな「あたりまえ」は、あの有名な仕事人コンビのもの。
崖っぷちに追い詰められて、絶体絶命の大ピンチ。ルパン三世と次元大介は、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて叫ぶ。
「おもしろくなってきやがったぜ!!」
{写真:香港の道ばたに集められた工事の看板。日本と似たようでありながら、よく見るとなにか違うという感覚}