セブ島のスコールはすぐ通り過ぎる。人生のあんなことこんなことも

ヨメが通う英語学校前の広いロビーで待っていると、みるみる外が暗くなってきました。絵に描いたような、スコールが来る前兆。

セブ島は、6月からの半年が雨期で、それにあわせてホテルも安くなると聞きます。

滞在2週間ぽっちの日本人が見ても明らかに怪しい空の色でしたが、授業終わりのヨメと、スーパーマーケットに行く待ち合わせだったので、オレンジ色の折りたたみ傘を短パンのポケットに突き刺し、のこのこ出かけました。

工業デザイン専攻のデザイン屋としては、雨の日でも車にはねられないよう、傘は蛍光色に限るというこだわりでして。

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道すがら、空がどんどん暗くなっていきます。雲がすぐそこを流れていて、グルグル渦を巻いています。滝壺に突き落とされておぼれるている真っ最中、天国の方向を見上げたら、こんな感じに見えるのではなかろうか(想像)。

この国ではちょうど今が夏休みで、南フィリピン大学のセブキャンパスは、まだ人影はまばら。3時10分。授業が終わって一斉に出てきた英語学校の留学生たちに混じって、ヨメ登場。キャンパスを出ると、もうポツポツ降り始めていたので、早足でJYスクエアという小さなショッピングモールまでのボコボコ道を急ぎます。

着いたとたんに、土砂降りスタート。

日本の雨は降り始めると、シトシトと1日中降り続いたりしますが、南国のスコールは、バケツをひっくり返したような勢いで30分ほど降り続け、そのあと、何事も無かったかのように、ケロッと日差し照りつける南の島に戻ります。

しばし私たちも、雨宿り客で大混雑のマクドナルドにて、買い物を始める前に時間つぶし。

ガラスの向こうには、おとなしく止むのを待っているセブの地元の人達が集まっていました。慌てず焦らず、おとなしく入り口の屋根の下で、雨雲がとっとと通り過ぎるのを待っているようです。

ところで、日本でもベストセラーになっている、自制心に関する実用書『スタンフォードの自分を変える教室』に登場する科学的実験によれば、人間は、目の前にある不幸や大問題はこの先の将来も永久に続く、というありえない幻想を持つ傾向があるようです。言うなれば、日本の梅雨のように毎日降り続くもののように感じる。

人生にスコールがやって来るときはよくありますけれども、セブ島の人のように冷静にやり過ごすというのも名案かもしれません。どんな災いも、しばらく待ってりゃ、勝手に通り過ぎますので。

お釈迦様の教えによれば、不幸も幸福も、人生を形作る重要なパーツなので、どっちが多い方がよいという話ではないということです。どれも人生の一部、以上・・・というわけで。

こだわりや好みなんぞ、コロコロ変わる。白豚、セブ島で氷たっぷりのビールを飲みながら苦悩す

セブ島に来て1週間半。英語学校での本格的な授業初日から帰還した嫁と、祝いと称して飲みに出かけました。

東南アジア名物の「信号なし大通り」を命がけで渡り、しばらく前から目を付けていたTonyo’sという近所の飲み屋へ。

ざっと見渡すと、座席数は数百あるのではないかという、地元の若い連中御用達のオープンバーです。火曜日の夕食どきだったので、ガラガラ。週末の夜遅くあたりは大混雑してそうな予感。

ローカル系のバーは初めてなので、隣のテーブルを観察すると、氷バケツにビール瓶がたくさん突き刺されている。きっとあれが地元っぽいオーダーの仕方に違いない。メニューを解読すると、定番ビール「サンミゲル」の3本セットが110ペソ(約250円)。セブ島の外食では一番安いレベルなので、早速オーダーです。

IMG_20140603_181127飲み口がナプキンに包まれ、氷バケツにつっこまれたサンミゲル・ビール3本。氷とスプーンのセット。グラス2つ。

このビジュアルは、日本だと、ほぼ重い酒の「水割りセット」そのものですな。

異国は、こういう習慣の差が、脳をズバズバ刺激するのでたまりません。職業柄、燃えます。

タイでもそうですが、南の国ではビールに氷を入れることが多い。日本だと「薄くなっちゃう!」と呆れられる飲み方ですが、クソ暑い南の島だと、すぐにぬるくなるし、そもそも汗だくの白豚状態で濃い酒なんて飲んでられない。薄いビールにさらに氷を突っ込んで、さらに軽くして飲むくらいでちょうどいい。とくに扇風機だけの屋外バーにおきましては。

「うめえぇぇぇ〜〜〜」と、相方とガブガブ飲み続け、追加オーダーしたあたりで、ふと思いましたが、ビールひとつにしても、住んでる場所の気候だけで、自分の好みなんぞガラッと変わってしまうもんだなぁ、と。ご褒美にプレミアムモルツ!な本物ビール志向は、どこに行ってしまったんだ、と。

「こだわり」とか「好み」いうのは、自分が住んでる街の天気とか、勤めてる会社とか、一緒に住んでるパートナーとか、そういった特定の価値感の中でだけ成立しているもんですね。

すごい仕事人の皆さま一堂に「自分の感覚を信じてつくれ!」と教わってきたものですから、自分が良いと思うかどうかということを頼りに、デザインをしたり、アドバイスをしたり、物を買ったりします。それが、こだわりとか好みとか呼ばれるもの。

変態デザイナーじゃなくても、そういう毎日そうやって生きてるでしょう。

ところが最近、自分の好きなものが、毎日変わって行く感じがしています。よく考えると全然安定してない。

30代後半の中年男になって、世界中あちこち住んだり旅したり、結婚したり、いろんな経験をした末、人生の半分にさしかかろうとしてます。いま実感しているのは、20代の頃に比べたら自分の価値感は180度変わっている。やりたい仕事や、女性の好み、食べ物、住みたい家、欲しい物など、ぜんぶ。しかも、今も刻一刻と変わっています。

「自分の感覚を信じてつくれ!」という、あのアドバイスには、価値感やこだわりは全人類共通・普遍のものだという前提があると思います。ところが、今の世の中、テクノロジーはどんどん変わって行くし、いろんな違う生き方が当たり前になってきている。

私の親方をはじめとする一流の仕事人の面々は、ものすごい「こだわり」を飯のタネにしているので、やっぱり自分もいろんなことに執着しないといけないもんだと思ってたんですが、これだけ自分の価値感が変わって行くとなると、何を基準に仕事をしていけばいいのか?

セブ島のローカルバーで飲み過ぎた翌日、クソ暑いというのに、んなことを考えております。

フィリピンに来たら、サンミゲルビールをぜひ。うす美味いです。