こうして唐突に、私は、オスカー像を持ってる人の助手になった。
正式に採用するという会話があったかどうかは、もう15年以上前のことなので覚えていない。でも、このカフェでの会話の一部分を鮮明に覚えていて、そのときの石岡瑛子さんの表情を思い浮かべると懐かしい。
私は「給料はいりません」と、改めて彼女に伝えてから、当然の権利であるかのように交換条件を述べた。
「そのかわり、勉強させて頂きたいので、お話をたくさん聞かせてください」
すると彼女は、満面の笑みを浮かべ、
「あらぁぁ、それは、高いわねぇ」
と、嬉しそうに返事をしてくれた。
このときの約束を、石岡さんは長いあいだ律儀に守ってくれた。ニューヨークで助手をした数年間、そして、日本に帰国してからときおり仕事を頼まれて会う度に。
私は、中学校2年で学校から脱走してからというもの、同年代の友達はあまりいなくて、遙かに年上の人たちばかりと関わってきたから、石岡さんのような超仕事人が、若者にどんな行動を求めているかも無意識に分かっていた。
若い女子はめっぽう苦手だったが、自他共に認める「おばさまキラー」だったのである。私は異常なまでに場の空気を読んで先回りする気の利く男で、仕事のできるおばさま達には、すぐに気に入られた。
仕事上の話ですけどね、念のため。
石岡瑛子さんのような大きな仕事をするプロに助手がいないというのは、普通の人には謎だと思うけれど、事務をたまにサポートする女性だけは東京とマンハッタンにいた。でも、なぜか、実作業を密に手伝う助手はいなかった。
後に彼女と親しくなってから聞いた話では、東京でたくさんのスタッフを抱えるのに疲れてしまったという。デザイン事務所をやる場合、「1人あたりの給料の10倍の売上げ」が必要だと教えてくくれた。
その頃の苦労もあるだろうし、アメリカにわたってからは仕事毎に一流の専門家チームを組むので、プロジェクトをまたがって仕事を手伝うアシスタントはいなかったのだが、たまたまオペラ仕事で予算が厳しいときに私と偶然出会い、初めて、試しに学生を使ってみようかという気になったようだった。
さて、シーンは助手面接合格後のカフェに戻る。
「まず助手にするかどうか、試験課題を出しますから」と電話で言っていた慎重派の彼女だが、そんな話などなかったかのような流れで、具体的な仕事の話をもう始めている。
親方は、熱心に連作オペラ2つ目の衣装デザインの構想を、私に説明している。早速、資料集めの依頼である。デザインのコンセプトを一つでも聞き漏らすまいと、わたしは猛スピードでノートに書き取っていく。
・・・その最中、突然、石岡さんが話がピタッと止まった。
私の斜め後ろの方、カフェの前の57丁目の通りをジッと見つめている。
何ごとかと思って振り向くと、ピカピカに輝く、ロールスロイスが一台とまっていた。運転手が降りてきて、ドアを開けると、白いスーツを身に纏い、片手にステッキを持った、マフィアのドンのような風貌の初老のイタリア系おやじが現れた。
背後で、石岡さんが興奮している。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと、あれ、トニー・ベネットじゃないの!?」
わたしは誰それ?と思ったが、このすごいおばさんが大興奮しているからには有名人なのだろう。空気を読んで「え、ほんとですか!」とかなんとか口走った。だがしかし、彼女はもはや私のことなど眼中にない。
トニー・ベネットは、50~60年代に一世を風靡したグラミー賞の常連歌手。ニューヨークというのは、世界的な有名人でも、そのへんを平然と歩いている奇妙な街なのである。
そのベネット氏は、私たちが打ち合わせをしているカフェに、優雅な足取りで入ってくると、カフェ中の視線を浴び、何人かのお客さんに愛想を振りまきながら、店の奥の席に向かってこちらの方に歩いてくる。
有名な人をあんまりじろじろ見ては失礼である。そういう大人な方針の私は、横目でチラチラと覗き見していたのだけれど、ふと、石岡さんの方を見たら度肝を抜かれた。
この人は、文字通り「からだ全部」をベネット氏の方角に向け、遠慮も恥じらいもなく、目をキラキラさせてガン見しているではないか!
石岡さんは、面白いモノや人に遭遇すると、全身で好奇心を表現してしまう人なのだ。この時見た乙女で素直なお茶目さと、我を忘れる程の異常なまでに強烈な好奇心は、石岡瑛子という偉大なプロの知られざる素顔だと、後によく知ることになる。
ベネット氏は、私たち二人が座る席のすぐわきを歩いて行き、石岡さんは、まるで監視カメラのような動きで全身を使って追い続ける。ベネットさんは、遠慮なく見つめてくるアジア人のおばさんの視線にちょっとバツが悪そうだ。
そして私というと、石岡さんの姿の方を観察していた。
親方になったばかりのこの人の、見慣れない行動を至近距離で目撃した私は、天才的な仕事人というのは、ネジが数本抜けているに違いないと、頭の隅の方で感じはじめていた。アカデミー賞を受賞しているすごい人でも、こんなにミーハーなものなのかと驚き、ちょっと呆れながらも微笑ましかった。
今日からこの人の仕事を手伝うわけだ。
いま思うと、石岡さんもマイルス・デイビスのアルバムデザインで、グラミー賞を受賞しているわけで、私の目の前に受賞者が2人いたことになる。
私が言葉を交わしたことのある中では、石岡さんが最高峰だが、上には上がいるようだということも体感した。世の中には、いろんなレベルの有名人がいる。雲の上には雲の上の格付けのようなものがあるみたいだ。
誕生したばかりの師弟コンビは、オペラ衣装の最初の資料探しの相談を終えると、カフェを出て、カーネーギーホールの隣の黒い高層マンションまで並んで歩いた。
石岡さんの後を追って、ドアマンが手で動かしてくれる回転扉を抜けると、薄暗く静まりかえったロビーに、コンシェルジェが立つ大きな受付カウンターがあった。まるで高級ホテルだ。
彼女は、長身で東欧系美男子のコンシェルジェ氏に、「このヨシという彼が、これから手伝いで何度もくるから」と紹介すると、私の方を向き、「じゃあ、リサーチ、よろしくお願いしますね」と言ってから、きびきびした足取りで、もっと薄暗い奥の方に、足早に消えていった。