デザイナーのユニフォーム「黒いTシャツ」に秘められた、奇妙な職業の本質

デザイナー男子は、黒いTシャツを好んで着る。

私もその一人ですし、有名どころでは原研哉さんや、ナガオカケンメイさんもそう。

きっと理由があるに違いないから、なぜなのかなぁと、考えてみた。

すると、デザイナーという世にも変わったプロ軍団の、職業像が見えちゃいました。

 

人様を魅力的にするのが仕事だから、自分の見栄えになんぞ興味はない

デザイン屋さんは、広告や製品やビジネスを魅力的に、そして美しくする専門家です。

裏を返すと、実は、「自分自身」の演出については無頓着な人が多い。自分の姿には、あまり興味は無いから、服装を考えるのはめんどくさい。時間がもったいない。勝負は、作り出したものの方でしているという自負があるわけです。

少なくともわたしはそう。「お助けのプロ」であるデザイナーは、主役ではないから、センスを疑われない程度に、ほどほどにかっこよきゃ十分と思っています。

すごいものを作る仕事だから、プライベートや生活も華々しいに違いないと思われがちですが、ぜんぜんそんなことはありません。一言で言うと、一流の人でも想像以上に「地味」。みなさん、忙しくて格好いい生活なんかしてる余裕はない。そんなことできるのは、成金のヒマ人。

スティーブ・ジョブズも、いつも服装は同じでした。どこに登場するにも、黒いタートルネックと、ブルージンズ。

彼は、物作りに異常な執念を燃やすプロでした。そんな奇人が自分の服装なんか気にするわけがない。彼なりに見つけた、見栄えと手間いらずの妥協点が、あの組み合わせだったのだろうと思います。

彼の伝記本を書いたアイザックソン氏が自宅を訪ねると、クローゼットいっぱいに、同じデザインの黒いタートルネックが山積みになっていたという話です。ある時、東京を訪れたとき三宅一生さんと意気投合して、大量に作ってもらったらしい。

デザイン屋は、自分を演出することに関しては、逆にド下手だったりもします。いつもの調子で、一歩引いたところから、客観的に分析することができなくなるからです。

アメリカ最高峰のデザイン会社「IDEO」は、社内に多数のスゴ腕デザイナーを抱えていながら、自社ロゴのデザインを、あえて大金を払ってポール・ランド氏に依頼したと言います。その理由は何かというと、自分たちの特長やイメージは、客観的な眼を持っている人でなければ演出できないからだとか。

(ランド氏は、IBMやNeXTのロゴをデザインしたことで知られる大御所で、ジョブズの伝記にも登場)

 誰の色にも染まらない、ニュートラルな色

一流のデザイン屋さんともなりますと、引く手あまただから、あらゆる業種や会社の仕事を頼まれます。

お堅いビジネスから、ふにゃふにゃのやわらか系まで、いろんな依頼が舞い込んでくる。すると、特定の分野やスタイルに染まり過ぎると、他のビジネスからの仕事が来なくなってしまいます。

例えば、派手なアロハシャツを好んで着る個性派のデザイナーさんがいたとすると、そういう人には、地味なスーツ会社の仕事というのは来ない。

だから、歌舞伎の役者を助ける「黒子」のような存在であった方がベターなんです。あくまでも、主役を引き立てる脇役。お客さん自身や商品よりもぜったいに目立ってはいけないという、暗黙の了解のようなものがある。

デザイナーと言えば、歩く個性、だと思っている方は多いでしょうね。

でも仕事でお会いしたことのある原研哉さんや佐藤可士和さん、それから私の親方だった石岡瑛子さんなど、作るモノはぶっ飛んでいて超クリエイティブですが、ご本人達はとても堅実で控えめなタイプ。けっして派手な格好はしていません。派手で華々しいのは作っているものや、著書のほうだけ。

「黒」という色は、色彩の世界では「光が無い」状態を指します。

色にも、そして形にも主義主張が無い、黒いTシャツというベーシックな着物は、「わたしは、いつでもアナタ色に染まれますよ」という、クライアントさんへのラブレター・・・、だったりして。

投稿者:

阿部譲之

主にデザイナー業。マレーシア・ペナン島在住。中学校の美術教科書に作品掲載。グッドデザイン賞受賞。十四代目伝統木工の家に生まれ日米修行→NYの美大で工業デザイン専攻しながら石岡瑛子氏のお手伝い→フリーランス七転八倒→ちょっと新生銀行勤務→ちょっと花屋→ 阿部書店(株)を設立して主にデザイン業→ 双子が産まれる → ペナン島にお引っ越し。その昔、日本のデザイン誌を中心に寄稿。ツイッター @yoshiabe