なぜ日本の外に住むことにこだわるのか。場所を変えるだけで自分の価値があがる不思議。街、国、会社。

いつも不思議に思うことがありまして、自分はなぜ、海外で生活するのがこんなに大好きなのかなと。

生活費が安く済むとか、天気が良いとか、誰が聞いてもわかりやすい理由はいろいろ考えつきますが、それだけで説明できないところがあるんですね。常夏で物価が安い町なら、日本国内にもありますし。海外生活は良い面ばかり取り上げられますが、実際にやってみますと苦労も多くて、慣れた日本で暮らす方が楽だと思うこともあります。

ここ数年モヤモヤと考えていたんですが、答えらしきものを見つけました。それは、日本の外に出たときにではなくて、逆に戻ったときのことです。

成田空港に降り立つと、祖国に戻ってきてホッとするのは当然なんですが、入国審査で大勢の日本人の列に並んだとたんに、ちょっとした不安を感じました。自分の存在感が薄くなったような気分でした。

海外では日本の人はよく見かけますが、行列全員が日本人ということはまずありません。自分が手に持っているのと同じ赤と紺のパスポートを持つ人たちの列に並んでいますと、ここでは、わたしも大勢の中のひとりにすぎないのだなぁと。帰国すると自分と同じ日本人はウジャウジャいますので、なんだか急に、ひとつ特徴を失ってしまったような錯覚ですね。

自分そのものは世界中どこに行っても特に変わりません。別の場所に行くだけで魔法のように変身したりはできませんから。ところが環境の方が変わりますとね、自分の存在がけっこう違うものになります。ここで書いている「環境」というのは、住む国や街のことですが、働く会社や仕事の業界にも同じことが言えます。

ひとつはシンプルに数の原理です。最近では海外に日本人はたくさん住んでいる・・・ように感じますが、中国やインドの方々に比べれば微々たる数で、一部の物好きが飛び出したに過ぎない程度ですから、珍しい存在です。数や量が少ないものは、自然と貴重な存在になる。金塊やダイヤモンドが高価なのと同じ理由ですね。

場合によっては、日本人というだけで、仕事という形でお金になることもあります。例えば、普通のアメリカ人が日本に来ると、少しだけトレーニングすれば英語の先生という職業につくことができますが、日本人の場合も日本語を話せるという、祖国では何の得にもならない能力を、仕事にすることも可能です。

自分がそれを経験したのは、NYの美大に通っていたときのこと。日本では神様のような存在だったデザイナーのアシスタントを、マンハッタンで数年したことがありました。日本だったら競争率が高すぎて近づくことすら難しい有名人ですが、そこはニューヨークでしたので、日本語を話せて気が利く美大生という組み合わせだけで、ものすごく重宝されました。日本だったらそこらじゅうにいるとまでは言いませんが、かなりの人数がいるレベルの若者です。

日本人デザイナーというのは、ある種のブランド化していて、世界中でとても人気があるんですね。真面目に働くし、文句は言わない。向上心も高く、裕福な国なので、良いものを使っているから、美的センスも磨かれている。すべての人が、そのブランドに一致するかというと、そうでもありませんが、先人の巨匠たちや企業の皆さんが築き上げた「日本のデザイン」という強力なブランドがありますし、デザイン業界でなくても、日本人はよく働くし礼儀正しいと一目おかれているところはある。日本じゃまじめに働くのは当然のことですが、外の世界では、それだけで超優秀な人扱いになります。

自分の希少価値に敏感なのは、自分がデザイン屋をやっているからではないかなと。他人と同じようなことをやっていると軽蔑される業界なので、人様と似たようなものを使っていたり、生活をしているとなんともいえない恐怖を感じます。自分の存在意義がなくなることは死活問題なんですね。

そんな自分ですから、海外で生活しているとなぜか気分が良い。違う世界で生活するのはデザインの発想の刺激になるのでメリットではあるのですが、なにより生きてて気持ちが良い。なんとなくですが。

こういうことは、同じ街や国にずっと住んでいると気付きません。世界中のあちこちに住んでみた今思うのは、場所を変えただけで、自分の価値が変わるということです。自分が特に変わった存在でなはいと思っていても、日本なり世界で住む場所を変えてみたり、働く会社を変えるだけで、急に重要な存在になることもあるということです。自分が気付いていないこともあるかもしれませんし、うまくいってないなら間違った場所にいる可能性もある。

自分を変えるのは年月のかかる一大プロジェクトですが、生きる環境の方を変えるのは、意外とかんたんなことです。

アメリカ人のおっさんとアツカン勝負。そして日本人が英語を話せない本当の理由。

当家がマレーシアに旅立つ前の正月明け。アメリカ人の旧友と東京で飲みました。

このおっさんは、ただのハゲオヤジではありませんで、NYの巨大美術館『MoMA』で修復部門の偉い人をやっています。交友関係が、超一流の建築家やデザイナーばかりなので、わたしのようなフツーの仕事人には用がないお方ではございますが、なにせ私が家具作りをカリフォルニアで勉強していた頃から、20年以上の付き合い。

この二人ですが、10年前にも御徒町であれこれチャンポンで飲みまくり、私は記憶がすっとび、彼は冷たくなった風呂の中で眼が覚めたという実績がございますが、さすがに少しは人生経験豊富になりましたので、そのあたりは心得ております。

飲み放題開始後30分。この日の最低気温は0度だったもので、「寒いからとっとと熱燗で温まろうぜ!」ということで日米合意。ニューヨーカーは「アツカン」くらいの言葉は余裕で知っているので驚きますね。このひとは、前世は日本人だったと、自他ともに認めているので、分野によっては私よりはるかに詳しいのです。

その日本マニアですが、時差ボケで眠れず、鼻ズーズーというベストコンディションだったんですが、にもかかわらず、ま〜よく喋りますね、アメリカ人は!

ネイティブの英語スピーカーが相手だと、そこそこ話せるわたしでもプチ緊張するものですが、酒が入るとプライドがシャットダウンするので饒舌に。熱燗パワー。

何を考えているのかさっぱりわからん!と世界的に名高い、礼儀正しき日本人も、酔っ払うと口と脳みそが直結するので、一歩アメリカ人に近づきます。それでも、相手がニューヨーカーともなりますと、勝負するまでもなく「大人しい日本人」ですが・・・。

ところで、アメリカの皆さまが沢山お話しになるのは、おしゃべりだからではありませんで、実はコミュニケーションの仕方の違いです。そうせざるを得ない理由がある。

日本人ですと、頭で考えていることの中から厳選して「3割」くらいを口に出すイメージですが、アメリカ人はその率が「8割」にも達するかんじとお考えください。選別せずにほとんど喋ってしまいます。したがって、量こそ話しますが、内容は2倍以上薄くて、スカスカ。それを言ったらお友達終了してしまうネタ以外は、どんどん口に出す。

彼らは、正しいことを言おうとは考えていないようで、喋ってしまってから間違っていればお互いにツッコミを入れまくりますし、相手の反応によってはフォロー発言したりという流れ。語学的な精度よりも、伝えることの精度が重視です。

というのも、アメリカ国は、あまりにも価値観が天と地ほども違う人達ばかりなので、口に出してしまわないと相手が何を考えているのかわからないわけです。たくさん喋ってコミュニケーションの精度を上げている。日本人どうしだと、まあ、お互い好きなものは似たようなものですし、5割くらいは伝える必要が無いという前提がある。すごく楽ですね。ところが、アメリカ人となりますと、肉を食う人かもわからないし、向かいで熱燗をペロペロ舐めている彼のようにゲイも多いので、会話の大前提が、最初っから崩壊しちゃってるわけです。お互いバンバンしゃべって、さぐりを入れるしかない、とでも申しましょうか。

日本人思考の自分は、できるだけすくない言葉数で、びしっと一発で決めよう!とか考えてしまうわけですが、そんなことを狙ってオタオタしているうちに、会話はどんどんアメリカ人のペースで先に進んでしまい、電車に乗り遅れてしまう。

日本人が英語が下手くそだと言われるのは、言語的な話ではなく、この会話の仕方の違いではないかと思っています。いくつかある大きな理由のひとつ。いくら「英語」を勉強しても、話せるようにならない原因かと。

酒もまわってきましたところで、ついでにご紹介ですが、この酒場は、100種の酒が100分間・1000円でセルフサービス飲み放題でして、四ツ谷では知る人ぞ知る人気店「ウシカイ」。この界隈にオシャレ飲み屋を展開する会社がやっている、ボロい居酒屋ですが、飯も安くて美味いので、よく海外から来た友人を連れて行きます。

セルフをおもしろがって、アツカンコーナーへ何度も何度も汲みに行っていた旧友ですが、時差ボケかつ風邪気味で酔っぱらいすぎたようで、ついにギブアップを頂戴しました。

会話では勝てっこない勝負でしたが、酒では私が勝ってしまったもようでございますよ。

南国の薄暗い小部屋に幽閉され、不覚にも、仕事がはかどってしまうお父さん。

マレーシアのコンドミニアムは、3LDKくらいの間取りですと、そのうち1つは謎の小部屋になっています。

これは住み込みのメイドさんのための部屋で、日本だったら物置部屋のような感じでしょうか。メイドさん仕様だとわかるのは、小さな専用トイレとシャワーもすぐ隣についている点。

いま借りている物件では、広さにすると5畳くらいでしょうか。玄関を入ってすぐのところにあって、日当たりも良くなく、窓からの景色はシービューならぬ、「エアコン室外機ビュー」。

短い滞在だと仕事をするのに一番困るのが、まずネット回線なのですが、次に仕事机です。本当に短いステイだと、カフェに行ったり、食事テーブルやカウチで代用しますが、今回は少し長めの2ヶ月ちょっとなので、近所の家具屋で安い机(約4,000円)と、オフィスチェア(2,500円)を調達。幅1mの小さい机なので、モニターとノートMacは、はみ出しています。

デザイン屋という職業柄、画面は大きめでないと仕事がはかどらないので、毛布でグルグル巻にして、スーツケースに突っ込んで持ってきました。東京でも常用しているのは、Dellの25インチモニターで、HDよりも一回り解像度が高い「2515H」。4万円ほどのお手頃プライスで、サイズも小さすぎず大きすぎず、バランスが良いので愛用しています。液晶モニターは、ガラスの板そのものなので、飛行機にチェックインするときはご注意を。

机と部屋、それからコンピュータの画面は、大きいにこしたことは無いのですが、小さいと余計なものは置けないので、逆に集中はしやすいと思いますね。小部屋というのもなんだか落ち着く気分。毎日30℃超えの南国ですが、エアコンもあっという間に効きます。

我が家では「お仕置き部屋」とも呼ばれる、この薄暗い小部屋にとじこもって、お父さんは今日も、気が向いたときに せっせとお仕事なわけですが、日本での生活と根本的に違うのは、仕事が終わったらそこは南の島なわけですから、すぐにプールにでも出かけてリラックス&充電できるというところでしょうか。仕事しながらリゾート滞在している感覚。

人間、充電しないとダメですね。休みをとらずに、ひたすら仕事をするなどというのは、充電しないでスマホを使おうとしているようなもんです。

 

不良妊娠夫婦、極秘で香港へ高飛び。

なぜか香港旅行は、そのたびに、誰にも知らせずお忍びになっている。

前回は、さかのぼること半年前の冬。嫁が妊娠5ヶ月になり、お腹がぽっこり。出産前に海外旅行できるのは、このあたりが限界だろうということになり、まわりに心配させないように極秘で4泊5日。

Expediaのホテル+飛行機セット割を使い、2人前・総額12万円でした。エアラインはキャセイ・パシフィック。

ペナン島と東京でお医者さんに聞いた話では、「妊婦×飛行機」は半分迷信のようなもので、実害よりも、親や周囲が心配するという人間関係の方が問題とのことです。香港は医療事情も良いので、疲れ過ぎないようにとのアドバイス付きで、ドクターのOKをもらい。極秘の隠密旅行へ。

ネット投稿厳禁。ほとんど駆け落ちみたいで萌えです。無事に出産したので、めでたくネタ解禁。

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飛行機の座席はVIP待遇。一番前の広い3席を使わせもらい、アテンダントさんが何度も水を持ってきたり、様子を見に来てくださり。双子で通常の5ヶ月腹よりも大きかったので心配してくれたのかもしれませんね。

美大時代に4年住んだニューヨークは、そこにいるだけでエネルギーがチャージされる気分になったものです。香港も、小さな島の縁につくられた狭い土地につくられた都市なので、ビルはどれも高く、歩く人々のたくましく活き活きとした表情も、まさにアジア版ニューヨーク。

東京に戻ると、ずいぶん広々とした、田舎の街だなぁと感じます。

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5万5千円で世界遺産を借りる!?ペナンの街を散歩中に見つけた伝統長屋物件

2週間に一度の頻度で、猛烈に食べに行きたい発作に見舞われる、行きつけのインド料理屋があります。この日は良い天気だったもので、我が家から歩いて1時間の道のりを、運動もかねてランチに出かけました。

ペナン島は世界遺産の伝統的な長屋の街並が有名ですが、島中がそういう雰囲気なわけではありません。一部のエリアだけが保存区域に指定されています。

上陸して家探しをしていた当初は、掘り出し物の長屋物件に住みたいな〜などという妄想もあったのですが、少し街歩きをしたら無理だとわかりました。良かれ悪かれ昔のままで、どこも激しくボロい。世界遺産エリア内の状態が良い物件は、カフェやらおしゃれホテルにするためにどんどん買われていて、ちょっとしたボロタウンハウスでも1億円の値段がつくとか。軽くバブッているようです。おそるべき世界遺産の魔力。

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さて、腹も鳴り始め、もう10分も歩けばインド料理にありつけるというところで、嫁が立ち止まりました。

「借り手募集、1,600リンギ」と英語で書かれた張り紙を発見したらしい。この長屋(タウンハウス)が5万5千円で貸しに出ているようです。

結婚して良かったことのひとつは、目玉が倍の4つになるということだと思います。本気で。

大手の観光ホテル「Cititel」のすぐ南側で、かなり古そうですが、1,600リンギはかなり安い。なにか致命的な問題でもある物件に違いない!・・・とちょっとチェックしてみることに。

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玄関から中が覗けたので、ちょっと拝見。

そんなに汚くはないですね。正面もきちんとペンキが塗り替えられているので、比較的手入れはしてある方です。京都の長屋のように、間口は狭いですが、奥行きはけっこう長い。2階も同じ面積がありますし、この広さならオフィス使いも格好いいのではなかろうかと。裏庭的なものもある雰囲気です。

両隣はかなり地元色が強いご家庭の様子。空き物件の前で、隣のおばちゃんが車を洗っていたり、前庭に洗濯物が干しまくってあったり。

こういう古い物件の問題は、台所やトイレが昔のままなことです。水回りは、床を掘り返したり大がかりな工事が必要になるので、比較的安く済む床や壁紙だけの改装で済ませるケースが多いため。これは、日本も含めて全世界共通です。ニューヨークやヨーロッパも築年数100年単位の古い建物が多いですが、配管だけはどうしても変えられないようで、詰まったり溢れたり、大惨事が頻発します。

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われわれが住処として借りるのも面白いかなと思いましたが、いまのコンドの契約が来年の6月までありますしね・・・。マレーシアでは、賃貸契約に礼金は無いのですが、途中で退去すると敷金を大家に全部持って行かれるという仕組みになっています。契約満了が標準。

シンガポールも、こういう中華スタイルの長屋の街並が残っていますが、あちらさんは、しっかり手入れがされていて、金持ちが住んでいる雰囲気。ペナンも10年もしたら、ああいう雰囲気になるのかもしれません。

観光地のまっただ中なので、カフェでもやろうかとか、airbnbで貸そうか・・・などなど妄想は膨らみますが。今回は妄想だけ楽しんで、あきらめました。

なにせ、腹が減ってますしね。

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観光客&地元民に人気のRestoran Kapitan。ペナンに着いた夜に偶然入って以来、わたしたちの定番メニューになっているのは、こちら。

しっとりした歯触りのタンドリチキンのセット、それから、バターチキンカレー。飲み物は、マンゴーラッシーと、スパイシーなアイス・マサラティー(チャイにガランマサラを入れたものですかね)。

リトルインディアに来ると、なにやら外国に来ているのだなぁという実感が、いつも沸いてきます。

仕事を抱えて、夢の国『バリ島ランド』。ランチは涙のカップ麺

仕事を丸ごとカバンに突っ込んで、夫婦でバリ島に滞在中です。

マレーシア滞在が3ヶ月に迫ってきたので、短期滞在ビザの更新で、一度国外に出る必要がありまして。まだロングステイビザは持っていないもので。

ゴージャスに遊んでいられるほど金も時間も余裕がないので、朝夕にビーチの散歩などしつつ、おとなしくいつもどおり仕事してます。日本とサンフランシスコのクライアント様の締めきりに追われつつ、嫁と阿部書店(株)の新事業ネタ出し合宿。

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バリ島へ飛んできた理由は、主に飛行機と滞在費の安さ。それから、リラックスして仕事ができること。バンコクも候補の一つでしたが、猥雑だし、最近あまり良い経験が無いので却下。そろそろ40歳なので、落ち着いた場所が好みになってきているのかもしれません。

飛行機が2回事故ったせいで、マレーシア航空が激安でした。ペナン島から、クアラルンプール経由でバリ島への飛行機が往復2.6万円ぽっきり。LCCのエアアジアよりも安い。そのせいかほぼ満席でした。

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最近はバリ島にもこぎれいなツーリストホテルが沢山建っていて、2人で一泊3,000円以下、朝食ビュッフェ付きなど。10年前は、高級リゾートか激安ゲストハウスの2択状態だったもんですが。(写真:滞在しているレギャンビーチのamarisホテル)

南国のペナン島に住んでいるから、冬の日本から来るのに比べると、感動は薄れます。贅沢な話ですが、まあ、そりゃそうか。

物価の安さに関しては、少し想定外の事態。ここ数年で、観光客が押し寄せているようで、レストランなどの物価がかなり上がっている様子。変わらないのは、足マッサージ1時間500円と、タクシー代。予算オーバーなので、お恥ずかしながら、昼飯はコンビニでカップ麺。

ところで、入国審査の行列で1時間半待たされ、冒頭から疲労困憊。驚きました。しかも9割が西洋の方々。飛行機が同時にたくさん到着してパンクしたのか?それともいつもこんなふうか?

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そして、入国には観光ビザ代、35ドル(約3,800円)。

入場料と大行列。どこかでこういうの、やったなぁと思ったら、あれだ、あれ。

『バリ島ランド』と命名します。

面接で出かけたオランダで、昔手伝ったオペラの再演を偶然知る。石岡瑛子さんと作った衣装デザイン

この冬に、アムステルダムへ面接で出かけました。

オランダのビジネスマンのおっさん達に混じって、ホテルのビュッフェ朝食であれこれ珍しいハムやらソーセージやらを食し、部屋に戻る途中、ロビーで国立オペラ座の公演カタログを発見。なにか面白い演目でもやっていたら観に行こうかと思い、一部拾ってみました。

部屋に戻って、ページをめくっていたら、見慣れた写真が出てきて驚いた。

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なんと、学生時代に手伝ったオペラが、2月から再演すると書いてある。

石岡瑛子さんの助手をやっていたときに、衣装の一部のデザインをつくらせてもらった、ワーグナーの大作オペラ「ニーベルングの指輪」。あれを手伝ったのは、もう20年近く前のことです。

4部構成、つまりフルレンクスのオペラ×4本で、舞台美術も超前衛的だったし、石岡さんに衣装デザインを依頼するくらいだから大金がかかった公演だと聞いていました。あれ以来、ずっと衣装と舞台装置を保管していたということでしょうか?さすが国立劇場。郊外に大倉庫でもあるに違いない。何度も再演できるすごい作品をつくれば、大金をかける価値もあるという判断だったのかもしれません。

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ドクロの形をしたヘルメット。石岡さんのディレクションで、デザインとドローイングは私。鉛筆と木炭。消しゴムも画材のように使って、要所ハイライト部分を白く。当時工業デザインを勉強していたので、「ヘルメットのデザインやってみる?」と、頼まれました。上の青い舞台写真でかぶっているやつ。

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こちらは巨大な怪獣のデザイン画。おなじくわたしの絵。ペンとマーカーと色鉛筆、修正用ホワイトでハイライト付け。ええ、オペラの舞台装置です、SFホラー映画ではありません。工業デザインチックな描き方ですね…。

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今年の旅で泊まったホテルが、ちょうど運河をはさんでオペラ座(写真)の反対側でした。劇場は当時の姿のまま・・・だと思うのですが、なにせ若い頃だったので興奮していて記憶が定かでない。

今回は用事を済ませるだけの短いオランダ滞在だったので、再演を観ることはできませんでしたが、石岡さんに招待されて、初演を観にニューヨークから飛んできた数日を思い出しました。

ぶっとんだ学生時代でした。

夜のシンガポール発、マレーシア・ペナン島に上陸。家探し編序章

数日滞在していたシンガポールのチャンギ空港から、夜19:40発のJetStar便に乗り、ペナン島へ飛んだ。

およそ1時間半の短い空の旅。シンガポールは、マレーシアの先端にくっついている小国なので、国内線のような感覚だ。時差も無い。

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東南アジアは、LCC(格安エアライン)の巨人たちが肩を並べる地球の一角なので、いろいろな安いチケットの選択肢があるものの、AirAsiaのシンガポール発ペナン行きよりも多少安かったので、JetStarで飛ぶことにした。

ジェットスターはオーストラリアのカンタス航空系で、格安エアラインの割にデザインのセンスがそこそこ良く、自分好み。エアアジアの方は、内装やら制服やらの色合いとデザインが、言うなれば錦糸町のチープなキャバクラといった風情。微妙な差ではあるものの、選べるならJetStarの方がいいなあ・・・と、このフライトで想いを新たにす。

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ペナン国際空港から、空港公式の定額制タクシーでホテルに向かった。空港はペナン島の南端にあり、中心部の北側へは高速道路を走って30分ほどの移動。

窓の外を流れていく夜の景色は、どこの国でも共通の、空港からの高速道路の眺めで、地元の人が住んでいるであろう質素な風貌のマンションや、シャッターの閉まった店、暗いオフィスビル、そして大きな看板が、街灯とともに流れていく。

途中、ハードディスクで有名なWestern Digitalの工場が眼に入った。あとで聞いたところによれば、ペナン州は税制優遇で海外企業をたくさん誘致していて、日本をはじめとする世界各地の工場があるそうだ。昔ほどではないと聞くが、いまでも日本の駐在員がたくさん住んでおられるのはこれが理由。

道中、タクシーの窓から左右の光景を、嫁としげしげ観察。大きなスーパーやら、コンドが見える度に、このへんはどうかね?と話は絶えない。空港からの道すがらは、地元色が強く、外人向けのリゾート感は無い。致命的なのは、本土との橋もかかるこのあたりの島の東側は、どう見ても車での生活が前提な雰囲気であることだった。私たちは車を買う気は無いので、歩いて生活できる場所が条件なのだ。

明日から始める住む家探しでは、島の北側を中心に歩いてみるのが良さそう。東側が、事前に調べて、家賃が安かったのは、地元の人向けのエリアだったからのようだ。

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ずっと続いたロマンティックではない郊外の景色が終わり、急に、歴史感ある低層の建物ばかりが建つエリアにタクシーがさしかかった。2008年にユネスコ世界文化遺産に指定されてた歴史地区だ。

夜で人影がほとんどなく、開いている店はほとんど無い。もっと観光地化している賑やかな場所かと想像していたが、思ったより地に足のついた静かな街のようだ。頭を「不便」という二文字が横切る。

アジア圏に強いAgoda.comで予約してあったツーリストクラスの「Armenian Street Heritage Hotel」 は、世界遺産エリアに建つ比較的新しいホテル。ペナン島の地理に詳しくなかったので、このあたりが中心部かと思って選んだものの、翌日には、世界遺産エリアは古い下町で、地元の人が住む一般的エリアでは無いことが判明する。

なぜにホテルの名前に、東ヨーロッパ・アルメニア共和国の言葉がついているのかと不思議に思ったが、アルメニア人の歴史的人物にちなんだ名前の通りが近いからだという。

この島は、ある種、香港のような歴史をもつところで、何百年もの間、インド・中国・マレー・日本・ヨーロッパなど、様々な国の商人が住む貿易拠点だった。その多様性は、現代にも引き継がれていて、マレーシアの中でも特に、いろんな民族が住んでいる場所。この島に外人が住みやすい背景には、そういう長い歴史があり、いまでは日本や西洋の国々から移住する人が増えているから、自分が外人だという意識はさらに薄れる。ニューヨークに4年住んだことがある自分には、この溶け込める感は、ことのほか嬉しい。

IMG_20140623_230719 (1)チャンギ空港で軽い夕食を食べただけなので、さすがに腹が減った。午前中にホテルをチェックアウトしてから、炎天下のシンガポール植物園を歩きまわって汗だくだったが、街があまりにも静かなのでシャワーも浴びず、レストラン危機を感じて二人してホテルを出た。

まだ夜10時だというのに人影がほとんど無く、静まりかえっている。世界遺産に指定された絡みで、営業時間の規制でもあるのだろうか?遅くまでやっていそうなカフェを調べてから出てきたものの、マレーシアのSIMチップをまだ買っていないのでスマホの地図が使えない。南に向かっていたつもりが、15分ほど歩いてから、真逆に歩いていたことに気付く。方向感覚が抜群だという自負があると、こういうときに深みにはまる。

たどり着いた場所は、インド人街だった。シンガポールでも宿が安かったリトルインディアに泊まったので、インドに縁があるようだ。夜おそくはインド人以外働いてないのか、このあたりは?

大きなオープンレストランなのでファンによる空冷。夜なのでさほど暑くはない。あっという間に出てきた飯は、期待以上に美味かった。妥協して入った店だったが、後日、TripAdvisorの人気店「Restoran Kapitan」だと知る。タンドリチキンのプレートセットと、バターチキンカレー、ナン、ラッシー2種。これで約700円。安い。タンドリチキンは、自分が日本で食べていたパサついたものとは雲泥の差で、もちもちしっとりした食感。いつも私よりも腹が減るのが早い嫁は、幸せそうにラッシーをチューチュー吸っている。

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翌朝。モスクのスピーカーから大音量で聞こえてくる、祈りの声で眼がさめた。

マレーシアは日が昇る時間が遅くて、時間の感覚が狂う。窓を開けると外はまだ暗い。再びベッドに転がり込んで天井を見上げると、謎の矢印が眼に入った。お祈りのための、メッカの方角だろうか。そう、この国は、われわれ日本人にはなじみの無い、イスラム教の国なのだ。

今日からの家探しの条件リストに、「モスクが近くにないこと」を書き足した。