私のたくらむ「出版社らしきもの」阿部書店

次は何をやるの?と聞かれる度に、「おれは出版社やるっ!」と、息荒く叫んできました。

書くことは大好きで、デザインの仕事をしながら、ときおり雑誌に寄稿させてもらいました。自分の考えを文章にして伝え、沢山の人たちの行動が変わるという知的快感。NYで美大生をやっていた90年代後半にネットが普及し始めた頃、マンハッタンのアート・デザイン情報を発信するウェブサイトを始め、それがきっかけで日本のデザイン雑誌に書くようになって以来、その喜びにはまりました。

ここ数年は、iPadが発売されて電子書籍がブームになったので、ついに物書きだけで食って行ける時代の到来かと興奮したものです。紙の本も格好いいから出したいなぁと、妄想を膨らみます。

去年までは、企画・デザインした商品を自ら売るという、デザイナーとしては珍しい経験をしたこともあって自信もついたので、出版社を介さずに自分で書いて自分で売るという、単純明快な商売をはじめようと考えました。言うなれば、ライター産直の、独り出版社。これからは多くのものが直販に変わるという未来を、肌で感じたこともあり。

ところが、具体的に準備を始めてみると、本を書くというのは地道で時間のかかる大プロジェクトだとわかった。大量の文章を毎日書いているプロのライターさんやスゴ腕の編集者さんと、同じ土俵で戦えるわけがないよなぁと思い始めました。私はその辺の素人さんよりは遙かにうまく書きますが、専業の文筆家ではないから、スピードや経験値では勝負になるはずもありません。

自分の最大の強みは何かなと考えてみると、日本とアメリカでの家具づくりの修行に始まった「モノ作り」だろういう結論に達しました。家具の勉強をはじめたときはたった17歳の小僧で、その後、大学で工業デザインを学び、日本に戻ってからは印刷物やウェブサイトへと仕事は変わって行きましたが、共通するのは、モノ作りという職人芸なのかな、と。

ビジネスとして大成功したいならば、競争の激しい既存の土俵で戦うのではなく、新しい土俵そのものを作ってしまえとよく言われます。そこで、アプローチを変えて、「出版物」というものを、本や雑誌のような媒体を切り口とした考え方ではなく、デザインや商品開発の視点で考えることにした。沢山の人の役に立ち行動に影響を与えるものをつくるという、自分の専門としてきたやり方で始めることにしたら、ずいぶん気分が楽になってきました。

ご存じの方も多いかと思いますが、この年末まではデザインの仕事と平行して、花屋もやっていました。「ちょっと変わった花店」というキャッチコピーの小さな事業の立ち上げです。

当時の相棒と私には人並みの花屋ができる経験がなかったことを逆手にとって、私が思いついたキャッチでしたが、お客さんは「どれどれ何が違うのかな?」と興味を持ってくださったり、賞を頂いたり雑誌や新聞に取り上げられるような、画期的な商品を考え出す原動力にもなりました。

私がはじめようとしているのは、似たような、ちょっと変わった出版社のようなものです。本日現在「謎の出版社」と書いているのは、私にもまだ正体がさっぱり掴めないからだと、ここに白状しておきますけれども…。

出版の起源を紐解くと、情報をたくさんの人により簡単に安価に届けるという、原点にたどり着きます。

わたしがやってみたい「出版社」は、メディアや手段は選ばず、アイデアや考えを伝えることを専門にするものだと、最近、やっと見えてきました。

ヤシの木、貸します。

バリ島・ウブドゥは、田舎の山の中にあるが、外国人が波のように押し寄せる観光地。

でも、店が建ち並ぶ大通りをちょっと離れると、そこには昔ながらの田園風景が広がる。赤道直下の国であるがゆえに、1年に3回、米が収穫できるという豊かな大地だ。

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赤道直下のバリ島・ウブドゥ町で見てしまった、日本式サービスの驚異

自分の前に誰がかぶっていたとも知れない、ほのかに汗臭いヘルメットをかぶり、ウブドゥの中心部を目指していた。10年ぶりに乗ったバイクで走る、穴ぼこだらけの真っ暗な夜道。しかもレンタルしたスクーターの2人乗りである。

「石鹸」を買いに行って死んじまったらネタとしては笑えるかもしれない・・・暑さではなく、その妄想にいやな汗をかきながら、地元のバイカー達を見習って一方通行を逆走。後ろに乗っている相棒が知り合いに強く勧められたという店に、言われるがままに向かった。

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