受賞マークデザインのはじまり。アイデアは偶然の連続から生まれる

年末に香港の空港で買った「Well Being」という本。数日前にちょっと読んで、キッチンのテーブルの上に置いてありました。

このまえ私のツイッターで書いた、「物を買う喜びは、買った瞬間が頂点で、その後消えていく。けれども、旅や勉強のような『経験』にお金を使えば、一生思い出して楽しめるので超お買い得」の元ネタ本。幸せな人生を送っている人に共通することを、科学的な大規模リサーチで明らかにした内容です。

わたしは朝食をつくると、その本の表紙をボーッと眺めながら、塩鮭をつつき、小松菜と油揚げの味噌汁をすすっていました。

陶器のような白地がメタリックレッドの円で囲われ、エンボスのかかった大人な雰囲気の書体の文字。

…これ、妄想中の出版社が主催するアワードの、受賞マークにしたらかっこいいかも。

手近なペンとプリンター紙にちょっとスケッチをしてみました。思いつきで、阿部書店のイニシャルAを、ドーンと中央に描いてみた。こういうエンブレムは、遠くからでも、小さく印刷しても読めることが大切なので。

デザインというのは、だいたいこの程度のきっかけから始まります。そして、妄想に具体的な形が与えられる。

企画が頭の中にあるときに、たまたま眼に入ってきたもの。それがインスピレーション源になることは、よくあります。

今回のような本のデザインということもあるし、電車で隣に立っていたお姉さんの服の色や、道ばたで見かけた看板ということもある。美術館で見た絵の色使いや、彫刻の形というものから影響を受けることあります。

「A」という一文字を描いてみたら、ほー、これは悪くないと思いました。それには、理由があります。

最初は私自身にも、会社にも、アワード自体にもブランド力はありません。だから、何も知らない人がパッと見たとき、瞬時に「なんかAレベルの評価をもらってる商品なのね」と、感じてもらえることが大切だろうと思ったからです。

さて。その数日後のこと。

四谷三丁目交差点のカフェで仕事を終えた、夜11時。

わたしは、のんびり歩いて家に戻る途中、業界人御用達の荒木町飲み屋街の前の横断歩道で、信号が変わるのを待ってました。すると、目の前の客待ちタクシーに「丸A」のマークが。

そこには「TAXI RANKING」とある。そんなランキングは聞いたことも無いですが、意味はすぐに理解できました。私の理屈が正しいことを実感。

こういう偶然の積み重ねの末に、素晴らしいデザインやアイデアは生まれます。必死で探しているときに限って、見つからなかったりする。

神経さえ尖らせていれば、向こうから勝手に飛び込んできます。わたしの名案は、どれもそうやって産声を上げてきました。

グッドデザイン賞をもらって思いついた、出版社が運営する「アワード」という妄想

2010年の秋のこと。たった二人でやっていた花屋が、いきなりグッドデザイン賞を受賞しました。

花屋という業態では史上初。しかも、自宅の片隅を使っている極小個人事業として。

売上げに大きな変化はすぐには起きませんでしたが、ちょっと意外だったのは、知人達の私に対する評価が突然上がったこと。口だけ達者な、アクの強い典型的デザイナータイプだと思われていましたが(実際その通りですが)、みなさん、私のことをちょっと見直したようでした。

企業に所属しない自営であるだけに、賞をもらうって大切なんだなぁと痛感しました。

公的な賞らしきものを頂いたのは初めてでしたし、自分は実力で食べているのだからそんな政治的なものに用はないと思っていましたが、花屋の時は広報予算がゼロだったのもで、かわりにグッドデザイン賞に応募してみるという別事情での出品でした。ふつうは、デザイナーは事業オーナーではないので、単独では応募はできません。この花屋の冒険では、わたしはデザイナーでもあり事業主体でもありました。

受賞してすぐに、業界系の新聞社さんから取材がいくつか来るようになった。そして、それを読んだ大きなマスメディアからの取材が来るという連鎖が起きて行きました。次第に発行部数の大きな雑誌から電話がかかってくるようになり、私がビジネスから離れた昨年末時点で、ゼクシィやAneCanに紹介され、年明けにはOzマガジンに載り、この春には元相棒がJ-WAVEに出演するまでに。

これらの全ての紹介は「グッドデザイン賞を受賞した…」という冠がついた形で紹介されました。マス媒体は、限られたスペースや時間の中で紹介をするので、たった一言で、読者なり視聴者を納得させられる「殺し文句」が必要です。デザインが美しいとか、高機能という話は、どうしても長くなってしまうので厳しい。

小さなビジネスを始めた皆さんはどなたでも経験していることですが、最初は「信用度」が大きな壁になります。大企業の看板を背負っていませんし、特にネット販売の世界では、運営者の姿や店舗が見えないので、お客さんは警戒して、なかなか最初の一歩を踏み出してくれません。メディアも、信用度が未知の小さなビジネスを取り上げるのはリスクが高すぎるので、取材もなかなか来ません。

商品やサービスは絶品なのに、お客さんも取材も来ないという、最初の悪循環を抜け出すのが、ちょっとした一苦労なのです。

これからの世の中、わたしが関わった花のビジネスや、この阿部書店のような、個人起業が急増するのは間違いありません。その流れの中で、レベルの高い商品やビジネス・活動を評価する、認証のようなものを始められないかなと、昨年から妄想するようになりました。

さて。賞の運営なんて、出版社と関係あるのかと思う方もいらっしゃるでしょう。

私もそう思ったので、デザイナーの得意技「コンセプト後付け」の術で、こじつけてみました。

つまり、ミシュランのガイドブックみたいなものを販売すれば良いのかなと。

あれは、タイヤを売るために無料で配布を始めた旅行ガイドブックが起源ですが、レストラン評価部分が異常に人気になって、いまでは有料で爆発的に売れ日本版まで出ている。良い商品やサービスを認証するという、賞のような雑誌のようなガイドブックのようなものもありかなぁと想像しています。世の中のいろんなものを評価するガイドブック。

個人や小さな会社として活動しているプロたちは、大企業がビジネスに利用する認証やアワードとは縁がありません。こういった、良いものを作っているけれども、往々にしてPR活動にうとい小さな巨人たちに、手を貸すツールを提供するのも意義があろうかと思っています。

ためしに、私が個人的に良いと思うものに賞を出すところからやってみるつもりですが、持続可能な事業としてお金のつじつまを合わせられるかは、テストをやりながら考えてみることにします。まだ、そのへんは未知です。

私自身が長年小さな自営業をやってきたこと、そして、グッドデザイン賞を貰ったのがきっかけで、こんな企画が出てきました。

人並み以上にいろんな経験をしてきましたが、どれとどれが組み合わさってアイデアが生まれてくるか、想像を絶しますね。

私のたくらむ「出版社らしきもの」阿部書店

次は何をやるの?と聞かれる度に、「おれは出版社やるっ!」と、息荒く叫んできました。

書くことは大好きで、デザインの仕事をしながら、ときおり雑誌に寄稿させてもらいました。自分の考えを文章にして伝え、沢山の人たちの行動が変わるという知的快感。NYで美大生をやっていた90年代後半にネットが普及し始めた頃、マンハッタンのアート・デザイン情報を発信するウェブサイトを始め、それがきっかけで日本のデザイン雑誌に書くようになって以来、その喜びにはまりました。

ここ数年は、iPadが発売されて電子書籍がブームになったので、ついに物書きだけで食って行ける時代の到来かと興奮したものです。紙の本も格好いいから出したいなぁと、妄想を膨らみます。

去年までは、企画・デザインした商品を自ら売るという、デザイナーとしては珍しい経験をしたこともあって自信もついたので、出版社を介さずに自分で書いて自分で売るという、単純明快な商売をはじめようと考えました。言うなれば、ライター産直の、独り出版社。これからは多くのものが直販に変わるという未来を、肌で感じたこともあり。

ところが、具体的に準備を始めてみると、本を書くというのは地道で時間のかかる大プロジェクトだとわかった。大量の文章を毎日書いているプロのライターさんやスゴ腕の編集者さんと、同じ土俵で戦えるわけがないよなぁと思い始めました。私はその辺の素人さんよりは遙かにうまく書きますが、専業の文筆家ではないから、スピードや経験値では勝負になるはずもありません。

自分の最大の強みは何かなと考えてみると、日本とアメリカでの家具づくりの修行に始まった「モノ作り」だろういう結論に達しました。家具の勉強をはじめたときはたった17歳の小僧で、その後、大学で工業デザインを学び、日本に戻ってからは印刷物やウェブサイトへと仕事は変わって行きましたが、共通するのは、モノ作りという職人芸なのかな、と。

ビジネスとして大成功したいならば、競争の激しい既存の土俵で戦うのではなく、新しい土俵そのものを作ってしまえとよく言われます。そこで、アプローチを変えて、「出版物」というものを、本や雑誌のような媒体を切り口とした考え方ではなく、デザインや商品開発の視点で考えることにした。沢山の人の役に立ち行動に影響を与えるものをつくるという、自分の専門としてきたやり方で始めることにしたら、ずいぶん気分が楽になってきました。

ご存じの方も多いかと思いますが、この年末まではデザインの仕事と平行して、花屋もやっていました。「ちょっと変わった花店」というキャッチコピーの小さな事業の立ち上げです。

当時の相棒と私には人並みの花屋ができる経験がなかったことを逆手にとって、私が思いついたキャッチでしたが、お客さんは「どれどれ何が違うのかな?」と興味を持ってくださったり、賞を頂いたり雑誌や新聞に取り上げられるような、画期的な商品を考え出す原動力にもなりました。

私がはじめようとしているのは、似たような、ちょっと変わった出版社のようなものです。本日現在「謎の出版社」と書いているのは、私にもまだ正体がさっぱり掴めないからだと、ここに白状しておきますけれども…。

出版の起源を紐解くと、情報をたくさんの人により簡単に安価に届けるという、原点にたどり着きます。

わたしがやってみたい「出版社」は、メディアや手段は選ばず、アイデアや考えを伝えることを専門にするものだと、最近、やっと見えてきました。