この美大生は、ひとつの大問題を抱えていた。
石岡瑛子という人の経歴をほとんど知らないにも関わらず、初対面の本人に向かって「尊敬しています」と言ってしまったという、あれだ。
わたしは大慌てで、最新鋭の「56Kbps」のネット回線を駆使して、彼女のことを調べ始めた。
当時の彼女は知る人ぞ知る存在だったので、ネットに情報がほとんど無かった。かろうじて見つけたのは、コッポラ監督がカンヌ映画際の審査委員長をやったとき、石岡さんも審査員として参加したようで、その折に掲載されたプロフィールが少々。(後に彼女から聞いた話では、カンヌで金獅子賞を受賞した監督が、後にメンバーを選んで審査チームをつくるので、毎年選ばれる作品の傾向が違うのだという)
次にわたしは、通っていた美大の図書館に向かい、緑色の文字しか表示できない超レトロなパソコンもどきの機械で蔵書を調べ、彼女の最初の絶版作品集「Eiko by Eiko」を奇跡的に見つけた。その大きな本を棚から引っ張り出し、閲覧用の大きな木のテーブルに広げて、1ページ1ページ観察した後、データベースから出てきた雑誌記事にもいくつか目を通したことは覚えている。でも、そのとき彼女の作品を観て何を思ったかまでは定かでない。
電話がかかってくるまでに、石岡瑛子という人を「尊敬」しなくてはいけないわけだ。順番が逆である。ハタチそこそこの学生には、作品を鑑賞してじんわり感動している余裕などあるはずもない。一夜漬けのテスト勉強みたいなものだ。これはひとつの試練である。
石岡さんからの電話があったのは、ソーホーで彼女に初めて会った翌日・・・、いや、もしかすると数日後だったかもしれない。強烈な出来事の連続で、細かいディティールの記憶が少し霞んでしまっている。
私はウォール街から歩いて5分という変なエリアに住んでいた。東京で言うと、丸ノ内に住んでいるような場所。200年以上前、マンハッタンが生まれた当時の赤いレンガ作りの建物が保存された観光エリアの一角で、知り合いのアーティストの紹介で巨大な「ロフト」を光熱費込み600ドルという破格の家賃で借りていた。アメリカでロフトというのは、元倉庫のことである。
ブルックリンにあったキャンパスから、地下鉄で夕暮れのマンハッタンに戻ると、真っ暗なロフトの奥の方で、小さな赤い光がポツリとともっていた。
留守電の再生ボタンを押すと、石岡さんの声。意外と早くかかってきた。
「石岡です。留守のようなので、折り返し電話をお願いします。Two one two, XXX – XXXX。 よろしく。」
212はマンハッタンの局番。日本語で話していても、自分の電話番号だけはいつも英語でしゃべっていた。
彼女の残す留守電のメッセージは、いつもゆったりと優雅だった。ちょうど、モンブランの万年筆で大胆な文字で書いて次々に送られてくる、あの独特の指示のファックスともどこか似ている。
わたしは美女をデートに誘う電話をかけるくらい心臓をバクバクさせながら、ボタンを1つ1つプッシュした。何度か呼び出し音が鳴ったあとに、いきなり本人が「Hello?」と電話に出た。
秘書でもいるものだと思っていたので驚いたが、社交辞令の言葉をすこし交わし、お手伝いできることはもう決まっていますか?と聞くと、彼女は言い放った。
「失礼ですが、最初にまずテストをさせてもらいます。」
なぬっ。
無料奉公のオファーをしたし、もう初対面ではないから、すぐ手伝いが始まるものと思って張り切っていたから意表を突かれたけれども、そりゃ当然そうですよね石岡さん!というような物わかりの良い、さも自信ありげなニュアンスの返事をした。
人選にはいつも慎重な人だった。最初の試練は、会って面接をしてから出すという。オペラの衣装デザインをするための、資料集めをまず頼むつもりだそうだ。
「なんて言うオペラですか、もし差し支えなければ?」
「ワグナーの『ニーベルングの指輪』という・・・まあ、詳しいことは、もしも採用になった場合に話します。」
私は、手元のメモ用紙に書き殴った。わぐなーのにーべるんぐ。教えてくれたのはこれだけ。
翌日の昼過ぎ、石岡さんの自宅のすぐ近くにあるカフェで会うことになった。
受話器を置いてから高層ビルに面した窓の方に歩いていき、石畳の道を見下ろすと、マンハッタンはもう完全に夜のムードだった。
私は、流行っていた自転車メッセンジャーの黒いカバンを肩にかけると、建物を飛び出し、ヒンヤリとした空気の夜道を足早に歩き始めた。
少し離れたニューヨーク市庁舎前の駅から、各駅停車の地下鉄6番線に乗り、若者の街イーストビレッジに近いアスタープレイス駅へ。そこには、私の家から一番近い大書店チェーンの「バーンズアンドノーブル」がある。
メモを手に私は店員を捕まえ、コンピュータで在庫を探してもらうと、おお、在庫があるというではないか。ビンゴ! そう、探しに来たのは、石岡さんがポロリと言った、ワグナー作「ニーベルングの指輪」のシナリオ。マンハッタンはオペラ愛好者の人口が多く、脚本が一部の書店の棚に並んでいるのだ。
当時の私はいろんなものに足を突っ込んでいたのだけれど、そのひとつが、東京のデザイン・建築系洋書の輸入会社「東光堂書店」の月2万円のバイトだった。NY中の有名書店で、デザイン・建築・アート本の売れ筋をチェックして歩き、短い書評を書いて毎月レポートをFAXで送っていた。そのおかげで、文章が上手くなり、マンハッタン中の本屋の売り場にも精通していた。
オレンジ色の背表紙の小ぶりな本を手に、道を渡り、向かいのスタバに腰を下ろして、早速、読み始めてみたのだが、予想以上に手強いことはすぐに分かった。
原作はドイツ語で、翻訳も古風な英語で書かれている上に、へんな名前の神様がぞろぞろ出てくる150年前のオペラである。アメリカ在住たった数年のデザイン専攻学生に歯が立つ代物ではない。
4部構成のオペラらしきことはわかり、第一部「ラインの黄金」というオペラの流れだけざっと目で追ってから、再び地下鉄に乗って、家に戻った。
なにせ、美大の課題でも忙殺されていた頃のことだ。少しでも読み進めようと、ベッドでページをパラリパラリとめくってみたが、私はすぐに、神々の眠りの魔術に落ちていった。
{写真:当時の書き込みのままの「The Ring」脚本}
=== つづく ===