良い花屋を瞬時に見分ける、たった1つの簡単テクニック。元花屋、どや顔で語る

デザイン屋の私が、偉そうに花業界のことなど書けるのには理由がありまして、当時の相棒と数年間花屋をやった経験があるからです。

今年は、5月12日・日曜日が母の日。毎年このときばかりは、ふだん花を買わない人も花屋に向かうようで、全国のお花屋さんは、年間の売上げの1割をたった数日で稼ぎ出します。

花の業界に足を突っ込んではじめてわかったのは、街の花屋の大半は、腐りかけの花を売っているクソ花屋だということ。大枚をはたいてお母さんに送る花ですからね、元プロの経験から、良い花屋の見分け方を伝授させて頂きます。

いきなり結論からいきます。極めて高確率で、かんたん見分けられるポイントは1つのみ!

良い花屋の証拠は『店頭に花1本単位の値札をきちんと出していること』。

これだけです。

値札の有無が、何を意味するのか? それは店の舞台裏を経験するとすぐわかることなのですが、値札を出している花屋は鮮度に自信がある目印だからです。「花なんて、市場で仕入れてきてからすぐ売ってるんだから、どこでも鮮度は似たようなものでしょ?」と思っているアナタ、それは素人考えです。

この値札が、花屋の営業方針を象徴しているのです。そこには、日本では、花が主に「贈り物」としての買われる商品だということが深く関わっています。

ギフト商品は、買う人と、実際に使う人が違います。

つまり、あなたのお母さんなり口説こうと思っている女子なりが花束を受け取った翌日に枯れてしまったとしても、買った人が気付く術がありません。受け取った側も、送り主に「すぐ枯れてしまった!」などと無礼なことは報告しません。腐ろうが、花びらがまとめてボットリ落ちようが、礼儀正しい日本人なら、ゴミ箱からはみ出ている花の束を横目で見ながら、「綺麗なお花を部屋に飾って楽しんでいます!」と、礼状など書いてみたりするでしょう。

この、買った人からも受け取った人からも怒られない、という好条件をうまく利用して、恐ろしいことをやっている花屋が、結構あります。つまり、

しょーもない花屋は、腐りかけの花から優先的に使って、贈り物の花束にして売っているという驚愕の事実。

スーパーが賞味期限の短い牛乳から先に売りたいのと、同じモチベーションです。

花は種類によって、寿命がだいたい決まっていて、簡単な手入れさえすれば1〜3週間程度は綺麗に咲き続けます。ところが、私が手伝っている当時「花を貰っても、数日で枯れちゃうから、あまり欲しくない」というお客さんの言葉をよく聞いて、んなアホな!と思いました。数日で枯れるということは、花屋に1週間とか、下手すると数週間置いてあった花に違いない。冷蔵庫で仮死状態にするとそれが可能なのですが、常温に出したとたんにあっというまに老化がすすみ、さらに結露した水分がたまって腐り始めます。

普通のビジネスだったら、高価で大切な贈り物商品には、特に鮮度の高い花を優先して使いそうなものです。ところが、街の小さなお花屋さんの多くは、その真逆をやっているらしく、それを知ったときに度肝を抜かれました。

1本1本の値段がきちんと書いてある花屋がなぜ良いのかというと、数本単位で買う花は、自宅用として買われるものだからです。

買う人と使う人が同じなので、鮮度が悪くてすぐに枯れたら、苦情を言ってくるか、無言で別の花屋に乗り換えてしまう。逆に1本単位の値札をつけていない花屋は、どうしてつけていないのかというと、いくつか理由がありまして・・・。

ひとつは、値札を付けるのが超めんどくさい、ということ。

花は生き物なので、賞「見」期限がありますから、市場で仕入れると、痛んでいるものや売れ残り率を考え、だいたい、仕入れ値の3〜4倍くらいを店頭価格にします。1本400円の薔薇は、市場でたいだい100円台で仕入れます。これは、実際に売っているとまあ妥当な倍率です。

「じゃあ、単純に計算して書きゃいいじゃない」と思う方もいるかと思いますが、実は、日に日に鮮度が落ちていくので、古い花は値下げをしていかないといけません。この管理も結構手間。怠慢な花屋は、そんなことはしません。

例えば、ある花の寿命が1週間だとすると、仕入れた直後に売れば1週間楽しめたものが、5日経つとあと2日しか鑑賞できない。花というのは、鮮度が高いほど楽しめる時間が長い商品です。

まともな花屋だと、その残日数にあわせて数日おきくらいで値引きをします。花屋で何本かおまけしてくれたりする理由の半分は、売れ残っても困る古い花をあげていることも多い。残ったら廃棄費用がかかりますので。花の値段は仕入れた日によって、上がったり下がったりもするので、正確に売価を計算しようとすると、何度も値札を作り直さないといけないということもあります。

花1本ずつの値段をしっかり表示している花屋は、鮮度に自信を持っているという証拠なのです。店頭は花の材料倉庫も兼ねているので、花束を買っても安心。そして、ドンブリ勘定で束にして高く売ることしか興味が無い花屋に比べ、品質や仕入れ日・価格を管理する地道な作業に手間暇かけているという、まともなビジネスならばごく当たり前のことやっているという事実の現れでもあります。

花業界が長い有名なフローリストさんから聞いた話ですが、実は、街の花屋の多くは、何十年も前に花屋を始め、店をビルに建て替えて家賃収入で食っているのだそうです。大人気の花屋にしようなどという、モチベーションがあるわけもなし。ほとんどのお客さんは、花はどこで買っても同じだと思っているので、一番近い花屋で買いますから、客足が途絶えることもない。店の上を見上げて、マンションぽかったら、む〜怪しい〜ぞぉ、と思いましょう。

もちろん、マジメに商売をしている店もあることはお伝えしておきます。花の回転が早い人気店や、有名店も鮮度に関しては問題なかろうかと。

最後に、母の日に花束を贈ろうという方に、私からのアドバイスをひとつ。

母の日の前後の花屋は、朝の新宿駅並みに混んでいて修羅場と化します。どうしても花束のつくりやサービスが雑になりますし、花の相場も上がりますので同じ金額の花束だと母の日の頃はお得感が下がります。売り手側として、母の日前の1週間にテンパリまくった私のオススメは、数日くらい早くプレゼントしてしまうか、花業界の混乱がおさまってから買うこと。サプライズ感もあっておすすめです。

マレーシア移住?!ある週末の妄想がリアルになるまで

有楽町のビックカメラの向かいに、「6th by Oriental」という、気に入っているバー・レストランがある。

南国アジアの高級ホテルや、ニューヨークのしゃれた店のインテリアを思わせる、どことなく異国情緒漂う店で、サービスも日本ぽくない。どこが日本ぽくないかというと指さしにくいのだが、若い時にあちこちの国で飲み歩いた思い出がよみがえる空気が漂っているのだ。

3日前のこと。四谷の自宅から、皇居の桜を眺めて1時間ほど散歩し、この店の奥の方の、静かなラウンジに相方と座って、サングリアをカラフェで頼んだ。客もまばらな土曜日の昼過ぎ。

さて、人生というのは、何かすごいことがいまにも起ころうとしているときには、いっぺんに波が次々と押し寄せるものだ。

例えば、このサングリア1杯から始まる、この週末の数日。

巨大な氷が押し込まれた寸胴のグラスから、紫色のドロッとした濃い口のサングリアをグビグビと飲み干した。アルコールが頭に届く頃には、よくニューヨークやアジアのこういう小しゃれた店で、悪友達と飲んだものだと思い出していた。

最近は大きな旅は年1回になっている。相方は、弁護士事務所勤務のカタギのおねーさんなので、急に出かけたりはできないし、ひとり旅もつまらないからだ。

気分転換に、仕事を抱えてどこか安いアジアの国で、自主缶詰にでもなってこようか。そういうことを、ご機嫌でニコニコしている彼女に話してみると、ひとりで行ってきてもいいわよ、と申す。

しからば、どこに行こうか?と考えてみたが、これといって行きたい国が思いつかない。

そんな贅沢な悩みを考えつつ、歩き疲れて家にもどり、カウチで脱力してテレビをつけたら、『国も人もあたたかい!海外南国暮らしのすすめ ~タイ・フィリピン・マレーシア~』というのが自動録画されていた。ちょうどよいタイミングだ。お茶の間番組・世界ふしぎ発見で、こんな特集をやる時代が来たか。

日本の退職組に人気の移住先が紹介される中、意外にも、マレーシアは中年家族が移住して、子供を現地の良いインターナショナルスクールに行かせている人もいるという。若い人でも金銭的な条件だけ満たせば、居住ビザ取得のハードルも比較的低いのだという。いままで考えたこともなかった国だけど、おもしろそうだ。ほう、現地で子育てという選択肢もありなのか!と、相方と盛り上がった。

観ている最中、電話が鳴った。ロンドンに住んでいる元中国人の実業家ロニーが、嫁(日本人)と子供を連れて、いま東京に来ているという。焼き鳥にいくからつきあえという呼び出し指令。その夜は、彼がロンドンやら中国奥地に買いまくっている不動産の話やらなんやらの話を肴に、英語で酔っ払った。中国人の国境を越えたたくましさには、いつも感心する。日本人が逆立ちしても真似できないたくましさだ。

妄想というのは、いきなり降ってくるものじゃなく、小さなきっかけの積み重ねではないかと思う。

実はサングリアでほろ酔いになる1週間ほど前、NYの美大時代の悪友アメリカ人、ジョナサンからもメールが来ていた。

やつとは、10年前にバンコクで起業しようと意気込んで、オフィスを探し歩いた仲だ。こいつは私同様に頭がおかしい男で、そのせいか付き合いが長い。いまは、サンフランシスコのフロッグデザインという会社で偉い人をやっている。知る人ぞ知る、初期のMacをデザインしていた事務所である。

届いたのは、また一緒にアジアで無茶な旅行をしてえなぁと、そんな文面だった。飛行機代を払ってやるからベガスにいかないか?とか、いかにもやつらしいイカレたオファーで、メールは締めくくられている。

安易にイイネぇ!などと書くと、ほんとに行くことになりかねないので、「おれはついに節約というものに目覚めた。金貯めてるから、いかねー」と、大人な返信をしてやった。

そろそろ家族を持つことを考え始めていて、都内に安いマンションでも買おうとしているのは本当。でもよく考えると、別に東京の都心にこだわる理由もなければ、日本にこだわる理由も無い。東京都内じゃ、いくら金を積んでも小さな箱しか買えない。同じ金額で青梅の山奥に一軒家でも買おうかと思っていたのだが、マレーシアは物価が日本の1/3だという。

そんなことを考えていたら、昨夜のこと。

とどめを刺すように、NY時代の別の悪友・ダリアから、facebookでメッセージが来た。

元イラク人のクレイジーな男で、マンハッタンを飲み歩いた仲だ。やつの一家はホメイニ氏の革命で国を追われる前は、現地で超のつく金持だったらしく、そのせいで太いネジが数本抜けている。

そのダリアから脈絡も無く、いとこを紹介したいという話が来た。女を紹介してやるという話かと一瞬思って、よく読むと、親戚のおっさんのビジネスのサイト3つを、制作&メンテしてくれるウェブ屋を探してるというのだ。何屋なのか、どこの国のビジネスなのかは書いていない。

なんで私に頼むのか皆目見当も付かないが、日本人デザイナーはブランド力があるので、世界でも一目置かれているので、英語ができるだけで、各国のへんなつながりから仕事が来る。

もうこうなってくると、国という枠にこだわっていてもしょうがないという気分になってくる。ここまでに登場した友人達も、元中国人だったり、元イラン人だったり、住む国はおろか国籍もぐちゃぐちゃである。

最近は、別に東京にいる必然性のあるプロジェクトはほとんど無い。一度も会ったことの無いイギリスのプログラマーと、ネットでやりとりしながら進めているウェブ仕事や、前にインドに外注したiPhoneアプリ制作のケースもある。マレーシアなら、インドに打ち合わせにいける距離だなぁと思ってみたり。

日本国内のプロジェクトでも、打ち合わせはごくたまーにしかなくて、ネットと電話と宅急便で仕事をしているので、突然マレーシアに引っ越したとしても、今のお客さん達は、困るということもなかろ。

マレーシアは、アジアの民族の交差点のようなところで、日本人でも居心地はよさげだし、みな英語を話すという。仕事的にも問題無し。LCCの「Air Asia」が、マレーシアのクアラ・ルンプールを拠点にしているので、東京も含め、アジアはどこに飛ぶにも激安だ。

こういう妄想を始めると、ガールフレンドとか嫁が切れそうになるものだが、実は私の相方も、ハワイに住んでいたことがあったり、シンガポールに引っ越そうかと計画していたこともある。私と同様にワクワクしている様子。

来週あたり、小脇に仕事を抱えて、クアラ・ルンプールに飛びます。

儲かってからじゃ遅い! プロが法人化して賢く生きる方法

前回の「自分が2人に増えちゃった話」では、自分の他に、法人という名の、もうひとりの自分をつくれるという話を書きました。

今回は、その肝である、具体的なメリットについて書いていきます。

個人と法人という「2人体制」で仕事をすると、どんな利点があるのでしょうか?

個人か法人、税率が有利な方で税金を払える

どちらも「人」扱いなのに、それぞれ税率やルールが違うので、有利な方を選んで税金を払えるという、不思議なことが可能になります。

まず、儲かってしまっている個人営業のプロが法人化のする最大の理由のひとつである「税率の差」を考えてみます。

個人だと、収入の上昇に比例して、所得税・住民税・健康保険料の税率が高くなって行く「累進課税」です。税理士さんが書いているその筋の本では800〜900万円の収入になったら、法人化した方が良いとされています。1,800万円を超えると、半分が税金になります。

法人の場合は、収入に関わらず法人税等のトータルが35.64%で固定(現時点の実行税率)。この税率はアメリカと比べると安く、他の先進各国よりも高い部類とのこと。1/3というと多いように感じますが、個人でも税や健康保険の合計で、そのくらい払っている人はざらにいるはず。社長=自分に払う給料の額は1年に1回は変えられますから、法人と個人にいくらずつの申告所得を割り振るかを、調整することもできます。

わたしが法人をつくる前は、この税率の差が節税に関係がある最大の要素だと思っていたのですが、実は、次の要素が予想外に巨大なことがわかりました。収入が増える前に法人化するのも、十分ありです。

経費として認められる範囲が、個人と法人で違うという怪

法人化した方がよいかどうかを論じるとき、税率の話だけが注目されるので、儲かっていない仕事人は株式会社にしてもメリットがなさそうだと思っている人が多いかと思います。

わたしもそう思ってました・・・が、さんざん勉強した結果、もっと大切なものがあることがわかりました。それは、経費のルールの違いです。

実は、法人だと経費にできるお買い物の範囲が、遙かに多い。

法人で無いと落とせない経費には、社員(=社長)へのあの手この手の福利厚生(現物支給や夜食、慰安旅行代など)や、長距離出張のご褒美に非課税で現金を支給できる「出張手当」まで盛りだくさん。

仕事に使う車や自宅兼仕事場は、個人営業では私用で使う時間分は個人で負担することになるので、一部しか経費にできませんが、法人名義だと購入からローンの利子、維持費や車両税・車検代まで、すべて経費にすることができます。

車よりもさらに高い不動産の購入も、法人の方が有利とされています。自宅を法人名義で購入し、社宅として自分に貸し出すことができるわけですが、購入後に継続してかかる費用もすべて経費にすることができます。ローンの利子や、修繕費、固定資産税は、個人だと収入のなかから自腹で払うことになります。

土地だけは個人で所有し、建物は法人で持つと、多額の相続税が節約できるというメリットもあるらしい。建物は毎年、減価償却することによって帳簿上の価値が下がるため、数十年後に建物の価値はゼロになります。その時点で財産の少なくなった会社の株式を相続するという節税手法だそうです。土地や絵画は、古くなっても価値が下がらないという扱いなので別です。

不動産の購入になんぞ縁が無い!というそこのあなたも、仕事場の家賃くらいは払っているでしょう。

法人の本店登記住所を自宅にすると、少なくとも家賃の50%を経費にできます。個人で自宅営業の場合は、水場などの共用部分を一切除いた、仕事専用の部分の面積比率しか経費にできませんから、多くても1/3くらいが限界ではないでしょうか。

逆に、個人の方が有利なものも少しだけあります。それは接待交際費。

個人だと営業活動に関係あれば無制限に使えますが、法人にすると1人1回あたり5,000円まで/年間600万円の上限、しかも90%までしか経費にできないという制限があります。資本金1億円以上の会社となると、接待交際費は一切経費にできなくなっています。大企業の人が、最近ぜーんぜんおごってくれない理由はこれです。高い飲み食いが好きな人は、個人事業の方が有利な場合もあるかもしれません。

私のここまでの勉強と経験では、経費にできる幅は、法人の方がだんぜん有利で、個人事業のときよりもかなり多い金額を経費にすることができています。少し勉強が必要で頭は使いますが、その価値は十分あるかと。

法人と個人で、経費を二重に落とせるという奇妙な話

お仕事をした報酬は法人が受け取ることになり、そこから様々な経費を差し引きます。残った金額の中から、電卓片手に法人税の予想額をにらみつつ、唯一の社員である自分に対して払う給料の額を自分で決めて払います。

自分で自分に給料を払うという、1年弱やってもまだ違和感のある毎月の光景です。

さて、そのお給料。社長さんがもらった金額ぜんぶが課税の対象になるわけではありません。「給与所得控除」というものを差し引くことができます。お勤めの方なら、正体不明とは思いつつ、聞いたことはあるでしょう。

これが、個人営業の人が株式会社を持つ上で非常に重要なのです。金額も大きい。

サラリーマンでもスーツや靴を買ったり一定の仕事のために経費が発生しているでしょ?という、政府のあたたかい配慮により、「勤め人のための見えない経費」を引くことができるのが、給与所得控除です。

例えば、社長である自分自身に支払う給料の年間総額を、控えめに300万円にしたとします。これは法人としてあの手この手で経費を吸い尽くした末の残金です。

ところが、ここから更にサラリーマン控除を引ける! 300万円の1/3強にあたる「108万円」が給与所得控除になり、192万円にだけ税金がかかります。これが個人事業だと、経費を差し引いた残高である300万円がまるごと課税対象に(青色申告でも、収入に関わらず65万円の控除の限界が)。これだけで10万円単位の税金の差です・・・。

1人で設立したマイクロ法人を持っていると、いわば二重に経費を載せられる形になるというわけです。

2人の「人」の間でお金をやりくりできる

仕事の報酬を個人で受け取ると、その時点で、どうにもごまかしようがありません。移動する先が、他人しかありませんので。

法人を持っていると、受け取ったお金を、会社と個人にどうやって分配するかを決めることができます。

個人としての自分に、法人から払う給与の額も、意図的にコントロールが可能です(社長の給料は、1年に一回だけしか金額を変えられませんけれども)。

法律上は、個人と法人は、まったくの別人なので、お金の貸し借りもできます。

クレジットカードをつくったり、ローンを個人で借りたいときは、信用を上げるために個人の給料を増やし、法人で融資を受けたいときは法人収入を増やす、ということもできるようになります。

連帯保証人無しで、家や事務所を借りられる(理論上)

個人で家を借りるとなると、自分が「借り主」になり、親に「連帯保証人」になってもらいますよね、普通は。

法人で借りる場合、借り主は法人、連帯保証人は社長個人という、奇妙なことも可能になります。あくまでも法律上は2人ですので。

大家さんが承諾の上という前提はありますが、事実上、連帯保証人が不要というケースもありうる。私はまだ実践していませんが、近い将来経験することになるかと。

勤め人じゃなくてもクレジットカードが作れる(理論上)

個人営業で苦労することの筆頭は、新しいクレジットカードをつくるときです。

カードというのは「安定した収入のある勤め人」を対象にしている金融サービスですから、個人営業の人には簡単には発行されません。収入がジェットコースターな人の返済能力は正確に計ることができませんのでね。私だったらそういう人の申し込みは却下するでしょう。

さて、自分の法人を持っていると、オーナーである社長は給料を貰っている勤め人ですので、少なくとも「勤め先」を書くことができる。収入も、自分で決めた人聞きの良い金額にしてあれば「安定した収入」をクリアできます。

法人の年商や従業員数なども審査の対象になるでしょうが、少なくとも、単なる個人のときよりは条件を多くクリアできます。ちなみに「従業員数」というのは、皆さん勝手に正社員数のことだと思っている方が多いですが、法的定めはなく、各会社独自のものなので、アルバイトや非常勤のお手伝いさんまでカウントしても構わないらしいです。要するにお金を払った人に人数。

勤務事実の確認電話がカード会社からかかってきて、自分が出るというのも、なにやらきもちわるい光景ですが・・・。

個人営業だと住宅ローンもNGなことが多々ありますが、同じ理由で有利になるのではないでしょうか。

個人を守る砦を持てる

人生、不足の事態はどこかで必ず起こります。事業でなにか大失敗をやらかしたり、外注費を払えなくなって、多額の債務を背負うこともあるでしょう。

個人事業の場合、当たり前ですが、その全額を個人として背負うことになります。払えなければ自己破産でもするしかなくない。

株式会社は「有限責任」というルールなので、株主=自分には、債務の責任がおよびません。

たくさんの人からボコボコに怒られること必至ですが、会社をつぶせは、それでめでたくおしまいです。借金などの場合、社長が個人として連帯保証人になっていないことが条件になりますが、法人という楯で身を守ることができる状況は多くなります。

節税のことをメインに書いてきましたが、あぶない現代ことがあふれかえる現代。個人としての活動は、社会への露出やプライバシー面、法律上においても無防備な状態です。

法人と個人という2人の自分を使い分け、リスクを引き受けてくれる身代わりを持つ。身を守る手段として、「影武者」としての法人を使って生き抜くのもありではないでしょうか。

必殺『分身の術』! 株式会社にしたら、自分が2人に増えちゃった話

自分がもう一人いたら、いろいろ楽だろうなぁ。〆切に追われながら、そう何度も妄想したことがあります。

そんな私が去年の初夏、会社をつくったら、なぜか自分がふたりに増えてしまいまして、いろいろと有利になりました。

主に、税金上のことですので、仕事は楽になりませんでしたが。

会社と節税の話には、私のまわりの仕事人さんたちが、強く興味を示しているので、一個人のプロが小さな株式会社をつくるとどんなメリットがあるかを、「二重人格」という、ちょっと変わった視点からご紹介します。

わたしは、ずっと個人営業のデザイナーとして仕事をしてきましたが、橘玲さんの『貧乏はお金持ち』という謎めいた本を買ったことがきっかけで、昨年の初夏に思い切って、阿部書店株式会社という会社をつくりました。

会社を作る理由は、大企業との取引で社会的信用が必要とか、儲かってきたので法人にして節税!・・・というものが大半だと思いますが、わたし自身としましては、「分身の術」が使えるようになったことが、予想外に一番便利だと実感しています。

まず、基本的な概念からご説明しましょう。

「人」というと、肉と骨の固まりである私たち自身をまず思い浮かべますね。法理上は「自然人」と呼ばれ、そのへんにゴロゴロいる、あの2本足で歩き、よく鳴くあれです。神様がつくった人、とも言えるかと。警察に守ってもらったり、裁判を利用したり、パスポートを持って外国に行ったり、お金を借りたりなど、平等の権利が保証されている生身の生き物です。

生身の人間以外に、ちょっと変わった「人」もあります。株式会社をはじめとする「法人」というやつで、人自身がつくった、もうひとつの人です。

「法律」の力により、自然人と似た権利を持つことができる「人格」という意味だそうです。一般的には複数の人が一緒に活動しやすいように集まったときに持つものなので、社長のほかに監査役など数人が必要でした。ところが景気対策の一環で、資本金1円でも株式会社が作れるようになっただけではなく(前は1,000万円必要でした)、「1人だけ」で株式会社を作れることになりました。

1人で会社を作れるということは、たいそうなことには聞こえませんが、これが実は、どえらいことなのです。

つまり、事実上、会社なのに一個人とほぼ同じということです。普通の会社と性質が違うので、俗称「マイクロ法人」と呼ばれています。株主はオーナーである自分だけなので、社長の一存でなんでもできることになります。つまり、一個人と大差ありません。

さて、こうして自由に使い分けられる「2人の自分」が生まれると、どうなるでしょうか? 次の記事で具体的にご紹介します。

すごいクリエーターが持つ『直感』の正体。プロが直感で決断を下せる理由

デザインの巨匠が口を揃えて、デザイナーの卵たちに言う定番の言葉があります。

「直感を信じなさい。」

私も、美大時代にさんざん聞かされてからというもの、この言葉を信じて仕事をしてきました。ほんとに鵜呑みにして大丈夫なのかなぁ、という一抹の不安を感じつつ。

ところが、あるお堅い本によれば、直感というのは、自分の過去の経験すべてから脳が瞬間的に感じ取るものらしい。第六感的な神がかったものかというと、そうでもない。

人間がどうやって決断するのかを科学的に分析した「Sources of Power: How People Make Decisions」という本に書かれている、この説が正しいとすると、早い話がこういうことになる。

直感を武器に仕事できるのは、連戦錬磨のベテランのデザイナーだけ。

「直感を信じろ」というセリフを私に話してくれたのが、ほぼ全員、超一流の人気デザイナーだったことから考えると、これは正論です。

よく観察してみると、直感を!・・・と言っているスゴ腕のおっさんおばさん達は、毎日地道に勉強を続けているし、新しい仕事となれば、大量のリサーチをする。

あの人たちは「直感を解読する技術」も身につけているに違いないと思っています。直感というのは、形がなくて雲のようにモヤモヤしている「気分」のようなもの。頭の中にどんな形の雲が現れたら地震が来るとか、雨が降るとか、場数を踏んでいないと判断しようがない。作っていて、どんな気持ちになるデザインがうまくいくかは、失敗と成功を様々に経験したからこそ選べることなのではないかと。一流のプロ達でさえ、陰では失敗作を連発しているのを、私が見てきたから、そう思うわけですが。

さて、私が今、若い人にアドバイスをするならば、こうなります。

「膨大な量の経験を積み重ねろ。そうすれば『直感』を信じられるようになる。」

「何歳までなら天職探しをしていいのか?」 — 石岡瑛子さんから聞いた仕事論

ロサンゼルスから、恒例の年賀Eメールが届きました。

MITメディアラボ出身のロシア人デザイナー、ニキータ氏より。ちょうど同じくらいの歳なので、お互い気がついたらいい年齢になっちまったねえ、とか書かれた中に、最近すっかり忘れていたことが書いてあった。

「君の親方によれば、35歳超えたら本気にならんといかんという話だから、俺たち、もう数年も過ぎちゃってね?(笑)」

そういや、当時の親方・石岡瑛子さんはそんなことを言っていた。

金はいらんので話を聞かせろ!というお手伝いの条件に、彼女が律儀に応えてくれたなかで聞いた仕事論の1つ。対する私は20代前半。

この話は、印象に色濃く残っているものの一つです。正確には、35歳ではなく「40歳」がリミットだそうですが。

「40歳まではいくらでも迷っていいし、むしろいろんなことを経験した方がいい。でも40歳になったときに、一生を捧げる自分の仕事が定まっていないといけない。後は、がむしゃらにそれをやる。」

この話を聞いた私は、意外とのんびりでいいんだなぁ、と思いました。

20年間試行錯誤して、そのあと70歳くらいまで現役バリバリで仕事をし続けるとして、活躍できるのは、たったの30年くらいの期間しかないじゃん!と。

石岡さんからその話を聞いてから、もう15年ほど経ちました。四十までの猶予期間は意外と短かった。ほんとに、あっと言う間。

私は、人並みの10倍くらい迷走した、どアホ男です。

意図してそうしたわけではなくて、興味のおもむくまま、優柔不断に生きてきたら、自動的にそうなりました。

木の家具作りの修行から始まって、工業デザインを学び、ウェブデザインやグラフィックで稼ぐようになり、ライター業もやり、銀行や花屋に足を突っ込み。脈絡なく手を出してきた。

そんな、ちぐはぐなキャリアを経て、いまの実感はどんなものかというと、これだけははっきり言えます。

人生、無駄な経験なんぞ一切ない。

1つ例を挙げると、高校生のときに私が年賀状配達のバイトをやらなかったら、「郵便で花を贈る」サービスは思いつかなかったわけです。あのときの純朴な彼は、20年後にグッドデザイン賞をもらうためのノウハウを身につけ中なう!・・・などと想像することすらできるわけもなく。

飲食店でのバイトなら接客技術が身につくし、ティッシュ配りなら受け取ってもらうための売り込み能力が身につく。こういう種類の経験は、どんなビジネスでも必要になる、オールマイティにつぶしの効く経験です。

今思うと、学校を卒業したばかりの若者が、一生を捧げる職業を選ぶなどということは、無茶ですよね。選択肢すら洗い出せていないから。自分に合っている職業の存在にすら気付いていない。

だから、若いときは、何も計画なんかせずに、飛び込んできたおもしろそうなチャンスに飛びついていけばいいのです。理由はいらない。とにかく、たくさんの種類のことを経験するのが正しい。

自分の究極の職業なんてものは、世界的な仕事人でも40歳までわかるものではないらしいですから。

 

日本のスタバではまだ流行っていない、ある飲み物

ニューヨークのスターバックスでレジに並び、自分の番を待っていると、よく聞こえてくる名詞があります。

それは、「ディ・カフェ」。カフェイン抜きのコーヒーです。

わが国では、カフェインは眠気さましの特効薬という救いの神的存在ですが、コーヒーを水がわりにガブガブ飲むアメリカでは、コーヒー中毒(=カフェイン依存)の人が多く、体に悪いものという印象が濃いのです。健康オタクが集まるニューヨークのような大都会だと特にそう。

最近、化学部質が頭脳におよぼす影響を、アメリカの医者が書いた本数冊で勉強したのですが、どの本も、カフェインと白い砂糖、そしてアルコールは、脳のパフォーマンスが落ちてやる気がなくなり、鬱状態に加担する物質の筆頭にあげられています。

ご存じのように、カフェインには血糖値を急に上げる効果がありまして、瞬間的に元気になって興奮状態になる。目が覚めたように感じるのはそのせいです。

ところが、副作用もある。血糖値があがりすぎたと検知したあなたの体は、インシュリンをどーんと大放出。血糖値が一気に下がってしまい、平常レベルを通り越して低血糖状態に転げ落ち、元気を奪います。

カフェインや麻薬のような興奮剤は、その化学反応の過程で、精神の安定に必要な化学物質を大量に消費してしまうという側面もあるそうです。精神的に不安定な人には、血糖値の乱高下とあわさって、かなり危険な存在。

すっかり健康オタク化している私は、普通のコーヒーとアルコール、精製された白い砂糖は少なめにするようになりました。この3つをやると、体と頭が動かなくなって、仕事が進まないため。

ちょっとネットで調べてみると、かのGIGAZINEもスタバのディカフェを取材していました。その記事によれば、ネスカフェも「ゴールドブレンド カフェインレス」というインスタントを売っているらしい。

コカコーラも、やっと数年前に日本で、カフェイン抜き・砂糖抜きの「コカコーラ・ゼロ・フリー」を売り始めましたね。あまり売れて無さそうですが。

さて、日本のスタバでは、ドリップコーヒーとしてだけですが、「ディ・カフェ」をオーダーできます。

あなたの前に誰もオーダーしていないときは、新しく作ってくれるので10分くらいお待ちいただくことになりますが、ディカフェは時間がかかるので、店員さんがテーブルまで持ってきてくれます。

誰もオーダーしない裏メニューのような存在。自分だけのためにいれてもらった1杯のコーヒーを、フルサービスで飲む。ちょっとスペシャルな気分を味わえる逸品です。

タダで楽しんじゃう新宿御苑の木漏れ日。最近の朝の日課

私の住んでいる四谷三丁目駅のへんは、JR新宿駅まで歩いても25分くらい。

東京版セントラルパークとも言うべき、大都会の真ん中に木々大盛りの「新宿御苑」がそばにあります。その北の隅に、意外と知られていない小川が流れる緑道を見つけました。

御苑の本体は入場料が必要ですが、ここは昼間だけ解放されています。正式には「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」というそうです。こんなところに玉川上水につながる水道があったとは。全長540m、のんんびり歩いて10分くらいの道のりです。

最近は、この道の木漏れ日を抜けて新宿に向かい、昼過ぎまでカフェで缶詰仕事。

秋になって日照量が減ると精神が異常をきたす、というアメリカの学者の調査報告を読んでビビってからというもの、朝の散歩をかねて少し遠い場所にあるカフェに向かうようにしていまして。セロトニンが減っちゃうのだそうです。

目的などない、ふつーの散歩をすすめる文化人は多いのですが、やってみるとたしかに頭が冴えます。太陽を浴びる以外に、軽い運動で脳に血がめぐるようでして。仕事がはかどります。

お勤めの仕事人のみなさんは、通勤という形で、これを自然に毎朝やってるわけですよね。ふうむ、よくできた仕組みですね。

自営のプロ達には、仕事場を自宅の中に持つか?別にしたほうがいいか?という議論が昔からあるのですが、私のここ15年の経験からすると、自宅と仕事場が一緒というのは、かなり工夫しないと、いろんな意味で厳しそう。

今朝は、保育園児の大群と遭遇。みんな大興奮で、道に散らばる銀杏やドングリを拾っておりました。